アルゼンチンつれづれ(7) 1979年05月号

二つの国籍

 アルゼンチンで生活を始めて五年目、アルゼンチンと日本の二つの国籍を持つ子供が生まれた頃より、毎年夏になると、海辺、山辺へと二、三ケ月間出かけてゆき、太陽を空気を緑を身体いっぱいに満して、なんとなく淋しげになって薄の穂が出始めると「さあ、お家へ帰らなくては!」と思うのが常でした。 その例年の薄の穂がみわたす限り白の、夏が終りになろうとしている三月初旬、青く高く澄みきった空の中より、三ヶ月ぶりのエセイサ空港に帰ってきました。懐しいというか、ほっとするというか、この平たい大きな国の緑を見ると、「もういや」と叫びたいような長い飛行機の旅から解放されるということと共に、私の家があるところという安らぎがあるのでしょう。
 飛行機の中の乾いた人工の加わった空気の中で、出始めた咳も、アルゼンチンに着けば忘れてしまうのだという信頼と期待を持って、私が今まで知っている限りの国の中で、一番おいしい、濃く甘い、良い空気という意味の地名ブエノスアイレスの空気を吸って、さあ本当の生活を取り戻さなくては。
 日本から新学期の品々を入れた新調のカバンが重く、斜めになって飛行機から降りる七歳の玉由が常に着るジーンズのスカートの胸には、三ヶ月間の日本滞在中、お正月の三ヶ日を除いて毎日、朝から夕方までフィギュアスケートの練習をして、心細がりながら、初めてテストというものを受けた証の日本スケート連盟のバッジと、玉由と同様、日本へ一ヶ月間のスケート留学に来ていた韓国の少女と知り合い、言葉は通じ合わないながらも技術を教えあったりして交換した、オール・コレア・フィギュアスケーティング・チャンピオン・シップと金が光るバッジとの二つを付けています。
 他人を蹴落さねば勝てない日本の入学試験のまっただ中にいる従兄が、韓国の子と友達になったと喜び報告する玉由に、「未来の敵に教えるなんてだめだぞ、負けちゃうぞ」といいました。世界をめざして、幼い夢ながら勝ちたいと思っている玉由は、もうこれで勝てなくなるのかと、びっくりし困ったのですけれど、彼女なりに、スポーツを通じて世界の人と親しくなるためにと始めたフィギュアスケートの目的を思い出し、韓国の子と友達になって、そして韓国の子よりもっと練習をしようと思いつきました。
 アルゼンチンと日本以外の初めての外国の友達となった韓国のバッジを「玉由の宝」といいました。私の宝という意味を込めて名付けた玉由の心に本当の宝が芽ばえた大きな大きな三ヶ月間の日本滞在でした。そして日本の友達が欲しいと言い続けていた玉由に、日本語で手紙が書きたいと思うスケートの友達が沢山出来ました。チヤホヤと気楽なこれからの九ヶ月間のアルゼンチン生活で、これらのスケート友達のことを思い出しつつ、どんなにはげみにしてゆくことでしょう。
 そして、留守にした我家にて、一足先にパラグワイから帰って待っていたお手伝いさんが、まっ先に報告するほどの重大事とは、ベランダを我物顔で歩く二匹の陸亀が、私の大切な、さやさやとやさしいシダの葉やサボテン系の一鉢を食べてしまった、ということでした。亀はひとまわり大きくなり、それよりもなによりも、ひ弱だった十センチ程のオンブーが幹は太く、一人前の木のごとくに成長し、植物にも動物にも、夏の必要なことを、まざまざと見ました。この三年程、冬ばかり過している我子の成長のことが心配になりだしました。

 
 

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