アルゼンチンつれづれ(14) 1979年12月号

カーニバルのお面

 激しく大粒な雹が降る音に目覚めた夜中、「春になったのだから」とベランダに出しておいた鉢。ここから先が春になった証ですとばかりに、古い葉と春の葉の色と差をつけて急激に延び始めたコーヒーもその他の草木など大丈夫かしらと思ふ。天から降る激しい物を避ける何物もない、ただ平たい牧場の牛達もさぞ困っていることでしょう。雹に当り、目がつぶれた牛のこと、跛になった犬のことなどよく聞きます。シャッターを通して部屋をパッと明るくする稲妻に、アルゼンチン住い十三年間に集まってきて壁いっぱいになっている動物の面が浮びます。アルゼンチン北部サルタ地方に住むチャネー族が、パロ・バルサのフカフカと軽い木を刳り貫いて作る収穫の祝に使う面です。下手糞に出来ているこの面に魅せられてから、それも収集家というでもなく、折につけ、出逢うにつけ、その時々の私の思いを面にとどめて増えていったのが、アルゼンチンの人も「これはめずらしい、日本から持ってきたのですか」などと言うようになりました。子供達が「お母さんの博物館」という私の居間は、確実に世界のどうでもよい品々を集め続けています。
 私のガラクタは、誰か偉い人が価値を決めて高価になった物ではなく、私だけが勝手に決めただけの物です。木目が残る木の化石を買った時は、財布の中のジャラジャラしているので充分まにあいました。今年になって、もう一つと思った時には百倍の値がついていて、あっけにとられるばかりです。高価な物はどうせ買えませんから、いつか大金持になった時にとあきらめて通ってしまふものがとても多いのです。
 パラグヮイに近い地域、フォルモサのマタコ族が、パロ・サントという香りのある固い木で作る、その地に多い鰐や蜥暢の動物達を見つけた時も、うれしさのあまりダンボール箱いっぱい買いました。今ではやめておこうという値になってしまいましたけれど、訥々と出来ていて、作っている周囲の生活、風景などが思われてくるような小動物に夢中です。
 南部パタゴニア地方を旅した時、昔住んだ大きな足をしたパタゴン族が、つりや狩りの為に、石を削って作った鏃を見つけ「これは売物ではない」というおぢさんに「欲しいな欲しいな」の一点張りでわけてもらい、その削り口より寒い石ころばかりの、だだっ広い地方での彼等の生活が思われ、大切にしています。
 コルドバのミナ・クラベロとはアルゼンチンの丁度真中くらいの地域。低温で焼いた土の動物。埴輪以前の単純さで、それでいて野羊、リャマ、牛等それぞれの特長が把らえられていて愛らしいこと。同じ土でも、野羊の糞で焼くと真黒い焼物、牛の糞で焼くと黄茶色に出来上るのだそうです。尻尾がない野羊を持っています。これは七才の女の子の作で「尻尾をつけるのを忘れてしまったの」という彼女の言葉が今でも耳に残って、私の居間におさまっています。
 ニカラグワの鼻が丸いマテの面、私が見つけてから二週間の後には、その面のあった位置は爆撃され、面を作った人、ニカラグワの人達がどうなってしまったかということを、思い続けます。
 インド洋のセイシェル諸島にだけあるお尻の形をした双子椰子の実。「変な物が好きだね。」とおっしゃりながら近藤典生博士が下さいました。まだまだ限りがありませんが、子供達が独立したら、大き空を見ながら紙も鉛筆も関係ないこれらの野生に近い物の中へ入っていって暮したい、などを思いながら私自身が作る、描く、まだあまりレベルの高くない品々も増え続けているのです。

 
 

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