アルゼンチンつれづれ(24) 1980年10月号

誕生日

 誕生日を思う程若くもなく、年寄りでもなく、忘れて通り過ぎたいのに、どんな書類にも決って書かなけれぱならない日付け。
 鬼百合は咲き登り、台風の気配、私の誕生日は、長い間、そんなちょっぴりもの悲しげな夏の終りにやって来ましたが、地球を半周しての引越しでアルゼンチン住まいを始めてより、オンブーは勝手気ままにニョロリと出した枝先に小さな芽を残すのみの枯木スタイル。ハカランダは固く平たい実がゆれて、やたら大きく目立ちます。セイボの白っぽい枝先。全部の草木がなんとなく注意を呼ばない、エネルギーを内に秘めての冬。窓を鳴らしてゆく風は、南極からやって来るというずいぶん掛け離れた感覚の中に、私の日付けがやってくるようになりました。
 朝から友人、知人から、「誕生日おめでとう」と電話が掛ってきます。ちゃんと貴女の日を覚えていますよと表示する社交上の大切な手段です。私も決して友人の誕生日を忘れてはいけないと思いを新たにするのです。
 この日をそっと静かに通り過ぎたいと当人に反して、子供達は、私を喜ばせたくて浮きうき。皆に誕生日の印のチョコレートボンボンを配るのだと、五百グラム入りの箱を持って、いつものようにクラブに着きました。
 でっぷり大きな、更衣室係のおばさんが、真赤な口紅の口をベチョッと私の頬に付けて「おめでとう」と覚えていてくれました。踵の高い天驚絨のスリッパを贈ってくれました。スケートに冷えた私達に、熱い紅茶とやさしい言葉。未だ4才にならなかった由野を引きずるようにして、スケートをさせだした頃からの付き合いです。体操に疲れた由野がひと休みする膝の持主。玉由が上手にすべると誰よりも大声で喜んでくれる人。彼女の仕事の範囲を越えて世話になり続けているのです。
クラブの中には友達がいっぱいいますが、特に私は、門番のおじさん、ロッカー番のおばさん達、掃除のおじさん達等、クラブを支える一番底辺の人達と仲良しです。子供達と喧嘩をしたり、クシャクシャしている時、クラブのおじさん達に、大きな声であいさつをすると、もう大丈夫。
 常のクラブでの時間を過して、「学校の勉強も見てあげられない落零れお母さんだけど、気を配って楽しい日にしてくれてありがとう。」と子供達へ私。「お母さん、人間は心だよ、大丈夫、良いお母さんだよ。」と子供達に励まされつつの帰途。
 父親の留守の真暗いはずの我家にたどり着くと驚き。セリーナ姉妹が家を間違えたかのごとく、明るく、御馳走を持ち込んで、一ぱい機嫌で私達を待ち受けていました。内証で計画をして、疲れ、寒く、暗く淋しい帰宅時をパッと華やかにしてくれたのです。
 まず目に入るラクエル手製の背の高いケーキ。今夜は何を食べて寝ようかととまどいだった私達の口に、沢山の鳥の足を長く煮て作ったゼラチンのおいしいこと。体操着の上に素早く、パーティドレスを着てはしゃぐ子供達。ドイツ製というキャビア、フランスが元のアンディビアにカビチーズを乗せて、ウィスキーと共に。じわりじわり、身体も心も暖かくなってきて、朝早くからケーキを焼いたり、買物に走っただろう彼女等の一日に思いは至る。
 アルゼンチンのお友達、私の子供達、ありがとう、ありがとう。

 
 

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