アルゼンチンつれづれ(27) 1981年新年号

「ドン・セグンド・ソンブラ」

 ひと花拾い上げれば、その造形は限りなく愛しく、このところ自分の存在感を失いがちな心もまぎれゆく淡い紫の花。ハカランダの時期、ハカランダの咲く道をひた走る車に乗って、ブエノス・アイレスの町から百十一キロの距離、サン・アントニオ・デ・アレッコ村へ向けて。
 一九二七年に国家文学賞を受けた、アルゼンチスガウチョの文学代表作品「ドン・セグンド・ソンブラ」の作者、今は亡きリカルド・グィラルデスの孫の結婚式に出席するために。
 リカルド・グィラルデスは大牧場主の家に生れ、パリに、世界に遊学し、そして生地アルゼンチンの大草原を書き、今日彼が執筆した彼の牧場で、アルゼンチンさながらに執行なわれるというセレモニーは、そうやたらに出逢えるものではありません。年に何回かは爆発する私の我儘でもって、出席出来る数少ない幸運を手に入れました。
 サン・アントニオ・デ・アレッコ村での、ローマ法王からのメッセージが読みあげられた教会での式が済むと、晩春とはいえ飽和状態に暑い、玉蜀黍と、穂が出始めた麦が見ゆる限りの畑の中の道を砂煙をあげる車で五分程。黒の衣装に、太いべルトぎっしりに銀貨をはめ込んだ正装で馬に乗った二、三十人のガゥチヨ達に迎えられると、ガゥチヨの勇者ドン・セグンドの世界にやってきた興奮度は最高。
 牧場の歴史、由緒がしのばれる、木ではないとは言うけれど大きな大きなオンブーの花盛り、みごとに咲いた泰山木、やさしい木もれ陽を作る栴檀、太い丈高いユーカリの放つ香、思わずみとれるカタルパの花。
 そんな木々の木蔭に、野の花で飾られたテーブルが用意されて、宝石や金きらとは違う、人間本来の豊かさ、暖ったかさがにじみ出ているパーティの場所。テーブルの置かれた木々の向うは、草を食む馬の牧場が地平線まで続く。
 御馳走は、こんなに沢山の食物が地球上にあったのかしらと思える程のアサードです。絨毯と見ゆる量の鳥が焼ける、特別なレストランで特別に食べられることもあるアサード・コン・クエロとは、牛の毛がついたままの肉を、ゆっくりの炭火で丸一日かけて焼く、皮ごと焼いたじゃがいもがおいしいのと同様です。焼きふくまれたおいしさはアルゼンチン料理の圧巻。野生的、原始的、狩猟人間が始まった時のまま。
 アルゼンチンの草原にて、この肉を食べているうれしさにわくわくしている頃、地平線に始まった黒い雲が、雨風に乗って、たちまち頭上を覆い、稲妻と共に、空気の場所がなくなる程の土砂降り。まだ食べ残したどころでなく、あいさつも何も捨て置き、車に逃げ込み、来る時砂煙をあげた道が、ニュルニュル、ドロンコに化す前に、鋪装の道まで行き着かないと、雨が止んでも道が乾くまで足止めとなるカンポの土。
 ドン・セグンドが牛の群を移動してゆく長い道程、何度もこの土砂降りに出逢った五十年前と同じように夕立はくり返し、車の中でずぶ濡れにふるえながら、これがアルゼンチンだとそれさえもうれしかった私。
 日本語に訳された「ドン・セグンド・ソンブラ」は何度か読み返したけれど、これを機会に、この本が書かれたままのスペイン語で読んでみたい!逃げて来たのがもったいなかったように晴れてきた空を見ながらの帰途でした。

 
 

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