アルゼンチンつれづれ(35) 1981年09月号

学校

 私の子供達は、ブエノスアイレスで知らない人は無い程の有名校へ、幼稚園から始めて五年間通い、名声程には私の気に入らなかった学校をやめさせて、今度は我家から石畳を歩いて五分、一年から七年(義務教育)までの全校生徒が百名に達しない、にこやかな美しい婦人の学長が常に校内を見廻り、一人一人の生徒をよく知っており、「台所とトイレがピカピカにきれいなんだよ」と子供達が報告する、名も無い小さな学校へ転校させて、「土曜日と日曜日は学校が無いから嫌い」という程、気に入って通い出して五ヶ月。
 人々の社交辞令「学校はどう?」と聞かれる毎に「良い友達ばかりだから」と答えて下を向いて涙を落す。このところ元気がない玉由。私「学校の勉強で分らないことがあるの?」玉「ううん」私「先生に叱られたの」玉「クラスの友達とうまくいかないんだよ、皆で玉由を仲間外れにしようとするの」私「十人しかいないクラスで今までとても仲良しだったんじゃないの」玉「マリエラがね、皆に玉由と話をしちゃいけないって教えていて、マリエラは大将だから皆従って、鬼ごっこをしても、誰も玉由をつかまえないんだ。だからマリエラに言ったの、『こそこそ悪口を言わないで、玉由と喧嘩したかったら体操でしよう! スケートでも、バレー、ギター、勉強でも何でもいい』そしたら黙っちゃったよ。お母さんありがとう。玉由のことを良く考えて育ててきてくれて」私「人間生きてゆくのには、いろいろな人と出逢い、仲良しになれたり、厭でも喧嘩をしなけれぱならないような事が出てきたりするものなの」玉「お母さんも他人と喧嘩したことあるの」私「あるわよ。淋しくなったこと何回でもある。特に人種が混って住んでいる外国で生きてゆくのには、思いがけないことが沢山出てくるの。その時、白分に自信が無くて、コソコソと負けるのは、あまりにも悲惨だから、自分の子供には、世界中の何処でも通用するスポーツで身も心も鍛えて欲しいと思ったの。私の経験から子供達の身につけて欲しいと思った事、今やっている全部のことに、玉由の出来る隈りの力を尽しなさい。それに言葉がとても大切。何も知らないでアルゼンチンに着いて、ほとほと情無かった。悔しい事があっても言い返せないんだから。マリエラは今までクラスの女王で級友を従えていたのに、日本の顔をした玉由が新しく入ってきて、マリエラの言うなりの子分にならなかったから焦っているのよ。マリエラだって玉由をいじめても良い気持じゃないはず」玉「もし、玉由がマリエラだったらと思うと、マリエラの気持良く解るよ」私「それだけ分ったら、玉由が人から厭な思いをしたことは、玉由は人にはしてはいけない。普通にしていなさい。もうすぐ仲良しになれるから」
 それから一週間様子をみても、増々淋し気な玉由に、日本の血で孤軍奮闘している我子がいじらしく、子供の喧嘩に親が出るなんてとも思ったけれど、子供には内緒で学長に相談に行った。こんなささいなことにも、学長自ら話しに乗ってくれる。この世離れした暖かい学校なのです。学長「わかったわ、マリエラは今までクラスの中心だったから、うまくやりますから心配しないで下さいね。これからも何でも言って下さい」という専門家にまかせました。
 二、三日後、ドアを開けて家へ帰ってくる玉由の様子に勢いがある。「みんなと仲良しになれた!今度みんなを家へ呼んでもいい?」

 
 

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