アルゼンチンつれづれ(64) 1984年02月号

トゥクマンの月

 アルゼンチンに住み始めてから半年ほど、まだ何処へ移り住んでも何の差し障りもない頃。パラグアイとの国境に近い地方、トゥクマンまでプロペラ機に乗って出かけたことがあります。工場誘致をしている、その条件を見るために。
 プルプルと翼が震えてはいたけれど、高度は低く上天気だったから、視界の限りペッタンコのアルゼンチンが見渡せました。牧場をとりまく木々、水飲み場の辺りの密度が濃くなっている牛達の様子、羊らしき群、牧場主の住む立派なかまえ、牧童用の小屋。本格的な牧場がどこまでもどこまでも……。偉大なるペッタンコを見て、声も発し得ない程の驚き、半年間も涙を流し続けていた私のその涙を振り払う程の出来事でした。
 そしてしばらく、今度は続く続く砂糖黍畑。砂糖黍の葉っぱをなびかせて飛行機が着陸すると、そこがトゥクマンでした。
 砂糖の産地。巨大で、斜陽になった砂糖工場を見て回り、その大き過ぎること、道行く人の様、三々五々の人等を見て、コンデンサという九九・九九%の精度を要する手先の仕事をする土地ではないことを判断しました。 丸太のような牛肉の塊に、有り余る砂糖を山とかけて、こんがりキャラメル状になった料理が、予期に反して、今になっても私の舌がその味を探すほどおいしかったこと。カボチャの甘いデザート。砂糖の地方の砂糖漬になりながら聞いたアルゼンチンフォルクローレ(フォークソング)の代表曲“ルナ・トゥクマーナ”(トゥクマンの月)のもの悲しい調べ。折から、まん丸のトゥクマンの月が空気を清める如くに美しく、的確に美をとらえている曲に感じ入りました。その月が照らしていたパン焼窯のある風景。どの田舎家の庭にも、レンガを泥で築いた丸い窯があり、日本の人々が毎日御飯を炊くように、それぞれの家のパンを焼きあげます。
 いつの日にか、私の牧場で、自らのパンを焼くべき窯を築き……瞳れとして私にしっかり定着しました。
 日本に来て、パン作りを教える所があると知り、トゥクマンでの思いに加えて、日々食べているパンがどのようにして出来上がるかということにも興味があり、ノコノコという形容詞の如く出かけていって生徒になってみました。
 ひと通り生きてきての暇つぶしに、ジャズダンス、習字、皮細工、旅行……等で時間を埋めて、忙しがっている主婦達が主要な生徒であるパン教室にて、ドイツ風、イタリア、日本、フランス、イギリス……さまざまな国によってもたらされたパンの作り方を習い、惰性も手伝って通ううちに、師範科という最高位まで卒業してしまい、講師の免状と身分証明書をいただきました。アルゼンチンヘ出かけていった時のように決意大きくしたことではありませんでしたけれど、子供の友達も交えて、クリスマスにはクリスマスのパン、食パンがなくなればそれもすぐ作り、ロールパンは、どうしても我が家独特の型となってしまい、恐ろしい添加物なし、甘み辛みも加減自在の安心パンが食べられる生活となりました。
 今まで、銀行、官庁等、本人が赴いているのに、「本人であることを証明する物を見せてください」などと言われても、車は運転出来ないから免許証は無いし、会社という所に所属はしておらず、「本人が本人であるというんだから、こんな確かなことないのに!」とユーモアも解してもらえず、なかば喧嘩腰のことが多かったのに、パン教室の認定講師であると証明された小さな紙を見せるとスイスイ……日本国を上手に渡ってゆかれるパスポートを手に入れたのです。

 
 

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