アルゼンチンつれづれ(74) 1984年12月号

引越し

 “情ないスポーツを選んでしまった”とこの何年来の毎朝の嘆きなのですが、フィギュアースケートの玉由のトレーニングに出かける時間が間題。人影もほとんど見当らない、夜が充分に続いている朝。朝というにはおこがましいほどの闇。いくら早くても、起るということには何の低抗もないけれど、その時刻に外へ出るのが恐い。思い過ごしかもしれないけれど、都会の真中、確実に“気持が悪い”と思えてしまう人が、そんな時刻にポツンポツンと出没する。“疑っちゃいけない”とは思うけれど、危うきに近寄りたくない。 住み始めた当時は、まったく合理的なはずだったのに、子供達の状況にいろいろと変化が生じ、最適とはいいがたくなったとはいえ高輪の住いの契約が終った訳ではないし、脱兎のごとく、というほどの理由もなかったけれど、東京都の端から端えとわかれて通うことになってしまっている子供達の頂度真中あたり、学校のある原宿近辺に引越そうと思いたってしまった。願わくば明治神宮の木々を見下ろして…… 。
 などという望みはただちにたち切られた。 世界一高い住居地ということも知らされ、駅の近くを望む私に、建物の絶対数が少ない。山の手線の駅を一つずらし代々木。新宿御苑の緑がカーテンがわりになっているような、駅近い、清潔な建物の三階に小さなのを見つけると、一日の移動に費す時間を、由野が五十分、玉由が四十分、節約出来ると、たちまちわやわやと引越してきてしまった。
 “買わない、増さない”の原則はどこえやら。三年近い日本生活で、溜りに溜ってしまったガラクタ同様に、絶大なる力を費やさねばならないことに相なりました。そして改めて“増さない、身軽になろう”と子供達共々誓い合ったのでした。
 自分の家があるということは、大きな安らぎかもしれないけれど、そのために犠牲になることも多いと思う。現在の我家は、何分間かを求め、移動出来る自由がありがたいこととしましよう。
 新しく住むと決めた条件の一つに、ほんの近くに交番があることでした。小さいながら頼しく御巡りさんが二人もいました。“これなら早朝も怖くない”ところが気付くと、暗くなり始める時刻、その交番は鍵をかけてカラッポになるのです。本当にがっかり。いじわる。
 ガス、電気、水道、電話と、電話をしたり、出向いたり、とどこおりなく準備したはずなのに、昼の明るいうちは気にもとまらず、夜になってきてあわてました。電気は通じるようにしていってくれましたけれど、それを明りに変化させる設備が付いていません。アルゼンチンとちがって、停電なんてない国にいて懐中電灯は電池が液もれでだめ。ローソクも誕生日の赤いのが心細く一本。やれやれ。そしてもっと悪いことにお湯が出てはくれません。汗みどろになって運動をして、お風呂めがけて帰る子達にとって、何たる不幸。 「水でもいいからシャワーする!」「冗談じゃない、病気になっちゃうよ」「我漫して寝ちゃおう」「明日はきっと入れるようにするから」「そうだ、鍋でお湯をわかしてバケツに溜めよう」かろうじて炎をあげるガスレンジのありがたかったこと。
 行水もどきに「わー、いい気持、バケツ一ぱいの水って意外と沢山に使えるんだね」
新築のビル人間が一度住んだことのない囲いに日本の一員として住み始めるということは、いろんなことがあるんだなあ。

 
 

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