アルゼンチンつれづれ(81) 1985年07月号

サンパウロ

 “木影があるといいな”と思う気侯、サンパウロの秋。“買いたてのお父さんの家”をめざし、これも買い替えたばかりで新しくなっている車で走りだします。
 チェテ川に沿う頃、やっと見慣れ、自分の位置がわかってくるサンパウロ。ハカランダは繁り、大きく育ったノボタンは花盛り、日本でも見られる草木も、ここまで来るとノビノビ育ち、とても同一植物とは思えない程なのがおもしろい。“ああ、ブラジルに来た”と感じるゴム、バナナ、アボガド、パパイヤ、椰子、タビビトの木……。植物図鑑を持ってゆっくりスケッチなどしたら“さぞおもしろかろう”と思うのだけれど、ひたすらあわて、写真さえも写さず通り過ぎるのが毎度のことです。坂だらけ“よくもまあこんなに”と急な登り、下りの中に出来上っている町の、思いっきり坂を上がりきるちょっと手前に“一人で探して買った”というマンションがありました。“物騒な町なんだ”と認識するのには充分、天に聳えるような鉄格子に囲われた建物の入口には門番が24時間、住人の顔の確認をしてから門を開けてくれます。日本で、そんなに人を煩わさないで暮らすのに慣れてしまったから、ちょっとの出入りにもいちいち“お伺いをたてる”というのは苦痛であるけれど、自宅の前でも、信号でも、車が止まれば強盗に合う可能性が高いという恐しい町では、ほっとするありがたさです。
 ひとたび鉄格子の中へ入ってしまうと天国。恐がらなくても良い広場ですけれど、こんなにも自衛しなければならないことに身震いがします。
 出来たて、思ったよりずっと明るく清潔、私達三人で住む東京の家よりずっと広々していて、アルゼンチンすなわち日本式ではない生活様式に慣れてしまっているから“お父さんの家”が非常に住み安く、うらやましくもありました。
この前サンパウロに来た時「この辺に家があったら便利なのに」と話したあたりですから、玉由と私から「上手に買えたね、何でも一人で出来るじゃない」と祝福の言葉。
 束縛し合うより、それぞれが自分で判断し自分の考えで生きる“自立している部分がある”そういうのが好きです。
 鉄格子の中の建物の住人の共有範囲として小型ホテルのロビーのようなホール、自分の部屋を使わなくても大勢の人を集められるパーティールーム、体操室、屋上にはプール、サウナルーム、小さな子供の為のブランコ、すべり台のコーナー。これらの設備が、使いっぱなしで掃除や管理の心配はいらないのです。24時間管理人が何の用事も“承って”くれますから、私のような怠け者にはこの部分では天国。
ブラジルに着けば必ず連絡する友人に、まず電話をして……。大概の人が何回もの強盗ひったくり、泥棒の被害に合ったことがあること、町中の芝地にまで毒虫、毒蛇が潜んでいるということ、聞いてはいましたけれど、毒蛇が現われたのです。現実に。超間接的ではありましたが。電話にでた友が、「ちょっと待ってね!」といったきり、どこかへ行ってしまい、待てども、待てども、「勘違いしちゃって、こちらに向ってるのかな」なんて思ってしまう頃、「今ね!庭に毒蛇がでて、ちょっとやっつけていたの」毎日、小さな子供が遊んだり、走ったりしている庭です、鉄格子の中へ入ってまでも猛毒の虫達がねらっている、やはり大変な国です。

 
 

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