アルゼンチンつれづれ(84) 1985年10月号

もっと強く

 平凡な身体と、かなり気が弱い12歳の由野は、今年の試合“普通の子”を抜け出ることが出来ませんでした。「なんとか普通であって欲しくない」と願って育ててきましたのに。これは遺伝的にみて父親側からも母側からも当然の結果であって、それ以上を望むという“賛沢”私が考え出してしまったことが“悪”であると反省はしますけれど……。
 「こんなに危険が伴うスポーツはもうやめさせた方がいい」「やめれば落伍者」「安易に投げだすということを教えたくない」「今のままでは今のまま、何とか今を脱しなければ」……上手に良い結果へ導いてゆきたい。 「生まれた時から虚弱でした」「いつも小児科の待合室」「どこへ行くのにもまず常備薬」「月に何度も身体が沸騰するような熱を出しました」「枕元で本を読み、指人形をしたり、病気の由野と過すという仕事がありました」「旅先の国々でお医者さんを探すのが常でした。ブラジルでもアメリカでも……飛行機の中ですら」「スペインでコルトパ地方行を取り止めたのは由野が病気になった所為」「フランスが駆け足になってしまったのは由野が熱を出した所為」
「由野が死んでしまう!」と私はいつも悲鳴をあげていました。あの頃は、「唯元気でいてさえくれれば」と願いました。それなのに今は、三年間無遅刻、無欠席で一日四、五時間の体操をこなしている由野に感謝もしないで“もっと強く”を求めています。
「体操をしなければ!それで良い成績をあげなかったら由野の幸せはない」と私が洗脳してしまったから、素直な由野は信じ込んでいて、悪い結果だった試合が終った夜「もっと強くなる努力をするから、お母さん協力して下さい」と涙を流して言いにきた。
 「走るよ」優等生過ぎるのを見るのがつらいほど、すぐ起き、ジョギングスタイルになってくる由野の伴走として私は自転車。瀬古選手や佐々木選手も走っておられる神宮外苑をめざす。
 「とんねるず」が午後歌うという看板があると、早朝にもかかわらず若い子達が行列する中を掻き分けるようにして走った日。巨人×ヤクルトがあると、神宮球場は朝六時にはもう行列が出来、我子らより小さいくらい、大きいくらいの子供達がいっぱい。試合開始までの十二時間あまりを並ぶのらしい。「うちの子も、ああいうことしたかったかなあ」と思う。いろいろな夏休みを横目で見ながら、人々に左右されることもなく、今必要と信じたことをひたすら。
 鳥瓜の白い花、花だと思ったら、たちまち瓜坊がぶら下る。ヘクソカズラなんて名前を付けられた可哀相なつる草が愛らしい。お白粉花の実が黒くなった。珊瑚樹の赤い実たわわ。殻のわき、まだ羽がちぢれた油蝉が止っている。蟻の行列。この夏一番の怪!ミミズが。朝一番由野と走る時にはミズミズしいミミズが足の踏み場がない程コンクリートの道にうごめき、朝練習を終えてからの暑い盛り玉由と走る時には、ひかれ、踏まれ、照らされ……カラカラになってしまって。「どうしてこんな自殺行為を、この夏、どんなに沢山のミミズが死んでいったことか」と気をもむ私に、「ミミズはさておき、この暑い日々、一日も休まず、一日二回も子供を走らせに神宮に現われるなんて、親バカも極まってる」と当の子供達に評されつつ、夏の虫達や草々を混じえての会話が沢山あった夏休みが終ってゆく。

 
 

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