アルゼンチンつれづれ(86) 1985年12月号

久我山

 「もうそろそろ久我山のおぱちゃまの家へ預けられる頃だね」と由野が感じだすほど、スケートの試合であったり、アメリカ行、アルゼンチン、ブラジル行、と事ある毎に「由野をお願い!」と一方的に長兄宅に頼み、玉由と行動を共にすることがとても多い。
 私、その昔、豊橋から東京の学校へと“お上りさん”になって以来、あまり年も違わないのに生活の世話、心の世話となり続けている兄嫁さんの存在。多謝。私が下宿人であった時のことが、預けた由野との会話から蘇ってくる。
 「昔、お母さんが住んだ部屋に、今は亜子ちゃん」「『まあ、あなたがゆりさんのお子様なの』って通りかかったおばさんに言われた、由野の知らない人なのに、由野のこと知ってた」……と世代交替。
「おじちゃまがケーキを買ってきて下さった時、ちやんと由野の分も数に入っていた、何も言わないけど由野のことを思っててくれたんだね」「お母さんが、亜子ちゃんの赤ちゃんの頃買ってあげた縫いぐるみがまだあって、由野が久我山に行くと、そのくまちゃんをだっこして寝るの」暗い帰り道には「芳孝君の自転車の後に乗って、ジェットコースターみたいに早く帰れるの」と従兄の力強さを知る。
 「パン屑を庭に撒いておくと雀や尾の長い鳥が食べにくるよ。棒に糸をつけて、かごをかぶぜてね、じっと静かにしているの、もちろん捕えられなかったけど」「花に水をあげてたら蜂が由野を追いかけてきた」「チューリップの球根を植えたの、赤いのが咲くはず。咲く頃見に行かなくちゃ」
 私が自分の生活ということを始めてからこのかた、土の上に直撲建っている家に住んだことがない。コンクリートの道からコンクリートの建物に入り、エレベーターで高く高く上り、小鳥が住むのよりもっと高いような所に住む習慣(ならわし)としてしまい、手抜きばかりが優先する生活に慣れ……従って私の子供達は土の上で、生えてくる草々に接すること、土のしめりを、土の可能を感じることなく。
 土と無関係に住むことによる障害の大きさを思う。久我山に預けると、由野を土の上に帰したような、人間の根本の生活の場に置いたような……とても大きな安心感があるのです。
 そしてまたまた由野は久我山へ、玉由と私は京都にやってきました。全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会に参加のため。 ウイークディを四日間も学校を休み、ホテルをとり、由野の引越し荷物(?)を久我山へ運び込み、新聞をことわり…… 大変な犠牲をものともせず、私達とほぼ同様なことをして、日本全土より京都へ馳せ参じた面々と合い会する訳で……気違い沙汰です。
 そんな沙汰を一寸でも正気に戻すため、日本に来て、日本を見る暇も与えてない子供への罪滅ぼし、競技の間のわずかな時間を見つけ、宿からほど近い金閣寺へ連れ出しました。「お母さんがそれ程見せたいのなら……」と渋々付いてきた玉由が「明治神宮みたいだ」という参道を抜けると叫んだ「わ!すごい」曇りの日だったのに、その時丁度雲が切れて日がさした。ほど良く古りた金が光った。火の様な紅葉を始めたもみじ、常緑の松、それを写す池、「一休さんだ!」アルゼンチンまで運んで見せた絵本が効を奏した。「今までこんなきれいな建物見たことない、すごい物が日本にあったんだね」「日本を見ることって悪くないー」と玉由。

 
 

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