アルゼンチンつれづれ(92) 1986年06月号

蓬摘み中

 蓬の香るお餅をいただきました。あんの入ってない蓬の葉っぱとお米の甘みだけ、きな粉を付ける地味なお餅。「子供達が好くかなどうかな?」と一人思いました。ところが、「いい匂いだね」「おいしい、歯ごたえがいいよ」「由野は幾つ食べたの」「じゃあ、あとは全部玉由のだよ」と奪いあい。飽食の時代、こういう単純なものが良かったなんて。 もちろん我家は、日本に十八年間近く不在で、その日本の飽食へと調子に乗った時代を知らないうえに、外国で、日本の食物を大切に大切に、憧れ暮らしたのは子供達にも充分沁み渡っており、「もったいないから」「あとでいただくから仕舞っておいて」「今度から残らないようにもっと少し作ろう」と食物へのいたわり大きく暮らして飽食とは無関係なのですが。
 たまたま由野の体操が休みの日がありました。「何かして遊ばなくてはーそうだ、あんなに好きだった蓬餅を由野と一緒に作ってみよう」と思いたちました。まず蓬を摘みに行かねば、「この東京、いったいどこに草が生えているかしら」草摘みの名手、生井先生に電話でお聞きしたところ、一緒に行って下さることとなり百人力。台所からビニール袋を沢山、気楽に歩ける服と靴。学校から帰ってくる由野を待ち受ける。「え!草摘み、連れてってくれるのすごい!ワーイ!」
 午後三時をまわってからの出来事だから、ほんの近くでね、ということだったのに驚いた。急行電車に乗ること40分。こんなに沢山電車に乗らないと草も摘めないなんて。
 「この辺は昔は、ただ田んぼだったんだよ」と言われる辺りは、新しい家々が建ち並び、いったい、草を摘むという目的地はあるのかしらと気がもめるほど。町中を、自動車に遠慮しつつ、それでも家々の庭に、ライラック、桃、レンギョウ、雪柳と春の花々に出逢いながら入間川の土手に到着。
 由野と私は、まず間違った草を摘んでしまわないように、食べられる草をよくよく先生から教わりました。さすが遠々と来た場所、あまり沢山の蓬だから、大きな気持になってほんの芽先だけを「大名取りだね」とはしゃぎつつ。育つ土の加減か叢ごとに何とはなしに個性があるのもおもしろく、裏葉の白く柔らかい毛が光る。指先を蓬色に染めながら。 土筆が生えているコーナーも。ちょっとほほけて時期はずれのもかまわず取り込む。野蒜もあります。上手に丸い玉まで取れなくて、苦労することしばし。仏の座。大犬のふぐりが背高くなって。これ何て名前。レンゲの咲き始め。カラスのえんどう。へびいちご。こぼれ種かしら、あさつき…… 。
 太陽が沈んでゆく頃、たかが草とてずっしりと重い。包から抜け出してくる草の香りがたまらない。
 先生もサンタさんみたいにふくらんだ袋をかついで……さようなら。
 帰り道、マーケットで上新粉を買い、「さあ、やるぞ!」
 「蓬、何分くらいゆでるのかな?あまりゆでて色が悪くなるといけないから、もうよし」どだい自己流。ゆで上りを冷水にさらし、しぼる。きざむ。上新粉は袋に書いてある処方どうりに湯を加へ、練る。蒸す。我家には煉り鉢も擂粉木も無いけれど、パン作り用のニーダーを利用して、上新粉と蓬が混る。「こんな色だったね!こんな粘りだったね!」「出来たんだ」「お世話になってる人達に配りたいなあ」とほかほかの出来たてを丸めつつ由野。土手の蓬が、由野の心と力になった。

 
 

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