アルゼンチンつれづれ(94) 1986年08月号

仕事ということ

 子供達が大きくなってゆく。弁当作りとか練習で夜おそく帰宅するのだからとか……一生懸命子育に参加していたってもうほとんど限度に近い。
 そして、我身を一人の人間として振り返ると、つらつら心細い。自分自身の体力、気力、能力についていえば、学校を出た頃より、私なりに幾多の経験を経て、ものが良くなっているはずなのに…とは関係なく世の年齢制限で、外で働くという望みは消さなければならない。絵を描く、文字で遊ぶ……所詮、暇つぶし。域を脱し得ないことがわかってしまって、はかない。はかない。
 いったい、これからどうやって生きればいいのかなあ!それは深刻な問題です。私の年代の友人達の共通した焦りです。このことについて、グダグダ話すのがいやさかげんに、友人と逢うのを避けるほどです。
 深い焦りを持ったまま先日、ブエノスアイレスヘ行きました。一人、アルゼンチン事務所の私の場所、私の机から、プラタナスが枯れ色の葉を落すのを見ていました。一人前のつもりになって働いていた頃のことが甦えってきていました。ドアがノックされ、山高く書類が運ばれ、一年近い留守の間にたまった私のサインが要る書類だと知らされました。『ガーン』と響く。私には、私も参加して作った会社の副社長という仕事があったのに。長い間、何と傲慢にこのことを無視してきてしまったことか。自分の会社の仕事をするということを忘れ果てていたなんて。
 日本に住んだ間中“無力”と自分を責め続けこの部分では本当に辛かった。
 いまからでも役に立つことが出来るなら…現役の社会人になれるなら…なんとしてでも…「お母さんが仕事をすることはとてもいいことだと思うよ」アルゼンチンから日本の子供達へ私の身の上相談の電話を掛けた時、玉由が元気良く励ましてくれました。
 『何か会社に良いアドバイスをしてあげられるかもしれないから』と、台湾の電気関係事情を見に行くことを思いたちました。思いたつとすぐ飛行機に乗ってしまう。
 台北。何も通じ合う言葉を持たないタクシーの運転手と私、ホテルの名前だけを告げると車は走り出した。以前に一回来たことがあるだけの台湾、あいにくのすごい雨、視界もおぼろとなると、どの辺に自分が居るのかさっぱり。だんだん暗くなってゆく時刻、すさまじい速さの車の中で、このまま地球上から消えてしまうのかと思うほど心細かった。「仕事なんだから」グイッと背筋をのばして。 無事に目的のホテルに着き、それから後はかなり日本語を話せる人との打合わせで“助かった”
アルゼンチンで私が始めた時のような工場を見せてもらい「世界中、人間のすることはそんなにへだたりがない」の思いを大きくする。工場内に入ると能率が良いか悪いか、すぐわかります。
 私の子育の間に、電気の技術が進んだといっても、根本を見つめれば「何が何だかわからない」ということはない。徐々に甦えってくるものを、新しく積み重ねてゆくものと…「一人前に仕事をしてゆかれないこともない」という手ごたえはありました。
 電気関係のみならず、台湾で生産されているものを、出来る限り見て回りました。
 社会に通用する仕事をしながら年を取ってゆくことが出来るでしょうか。そうしたいと思います。

 
 

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