アルゼンチンつれづれ(117) 1988年08月号

「ヒット・ガレージ・ドア」

 ボタンだらけの日本の最新車の持主になった時、私のイメージとあまりに掛け離れていて「こりゃあ、何か仕出かす!」と、ちょっぴり嫌な予感がしたのだけれど、やっぱり、やってしまった。
 あのボタン、このボタン「さて、OK」とガレージから発進を始めた途端、上から、とてつもなく大きく重いガレージのドアが下りてきた。「わー大変」素早く潜り抜けるつもりが間に合わなくて『ガシャンギー』助手席の由野が「お母さん、もう一度ボタン押すの」と叫んでいる「どれを!」より早く、由野の手が延びてドアが途中で止まった。
三階建我家の一階ガレージから外へ出る為に、いわゆる鍵ではなくタバコ箱大のリモコンを二つ車の中に持っており、そのボタンを一回押すとガレージのドアが開き始め、二回押すと締ってくる。それも、「アメリカ製って!」といつも癇癪を起すほど感度が芳しくなく、何回か押してみないことには始動しない、このところが問題で…。
 首尾よくガレージを出ると、今度は、コンドミニアムすなわち集合住宅から道に出るドアを、もう一方のリモコンで開ける。こちらは一定時間しか開いてないから素早く通り抜けないといけない、とややこしいことで。
 後になって、私の事故体験を話す毎に、「その事故やりましたよ」という人にいっぱい出逢った。
 やっと新しいナンバーが来たばかりで、フロントガラスとサンルーフが割れ屋根にキーッと深いひっかきあと。誰のせいにする訳けにもいかず、バカなことをしたものだと自己嫌悪、だけど自作自演でよかった。他人がからむ事故でなくて。車の頭ではあるけれど、ガンと気合を入れられ、これで何かが吹っ切れたような…。
 さて現実、直さなければ、差し当ってガラスが落ちてこないようにセロテープで止めると、このままなんとか使える。何しろ雨がなかなか降らない国だから。
 何から何までカバーしてくれるはずになっている保険会社に電話をすると、「今車が使える状態なら、そのうちに見に行く」ということで、一週間後に見積りの人が現れ、「後でチェックを送るから」と帰っていった様子がよくのみこめないまま、また一週間ほどたったら郵便でチェックが届いた。「このチェックを持って、指定の修理屋へ行くように」と書いてある。
 「すぐ直してくれるものなのかしら」「屋根なんか時間かかるんだろうなあ」などと思いつつ……「一週間車を置いて行くように」ということで同じ修理屋が貸し出すレンタカーで帰ってきた。車がないと何も出来ない国だから、「どうするんだろう」と考えていたことがスンナリ、やっぱり「そうだよね」という風になっている。今まで保険会社に払い込んだのと同じくらいの額が払ってもらえて、何だか悪いみたいと思う束の間、もう私とは契約しない、という絶交状が来た。「一度やれば、そんなにくり返すわけないのに」「私から一銭も儲けられなかった可哀相な保険屋さん」「どうせ、保険会社くらいいっぱいあるさ」ところが「ヒット・ガレージ・ドア」というタイトルがついた私を、なかなかOKと言う所が無いことを知る。小さな事故でも、こんなに警戒するんだ。アメリカ車社会の中での自分の姿が、よく見えた気がした。そしてやっと、今度の保険会社には、損はさせないつもりだから。

 
 

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