アルゼンチンつれづれ(143) 1990年10月号

アメリカの永住権

 アメリカに引越してくるにあたり、子供達はスチューデントビサを四年間、私は、アメリカ入国のその都度六ヵ月間有効の観光ビサがパスポートに押されたから、アメリカ滞在について不自由はなかったけれど、「永住権の手続きをしますから一緒にしてあげます」という友が居て、このところ取得は大変難しいといわれていることゆえ、期待もせず「御迷惑でなかったらお願いします」というようなことがあったのが一年程前のこと。ほとんど忘れていたところへ突然、「アメリカの永住許可が下りましたから、指定のクリニックの健康診断と、在日本アメリカ領事の面接を受けてください」と日付が指定されてきた。 仕事の都合も、丁度日付が重なってしまったヨーロッパ旅行もとりやめにし、由比古はアルゼンチンから直行、玉由は彼女の方法で日本へ、由野と私は、由野の期末テストが終るのを待ち、直ちに飛行機に乗る、というあたふたで、一家四人が「こんなことでもなければなかなか逢えないね」と東京に集合し、あの書類、この書類と注文が沢山ついたのも無事済ませ…今度アメリカに入国すると、すべての手続が終了する、ということだった。 私達が永住の為アメリカヘ入国する日の、たった私達の時間だけでも、世界各国からの民族衣装の人等も混じえ、幾多の人が、アメリカの住人になりに来ていた。
 カリフォルニアは水不足だとか聞こえながら、この寛大な受け入れよう。ことあるごとにアメリカという国の物の考え方の日本人的ではないことを思い知る。
 子供達の成長過程での経験として、アメリカに住んでみようとの出来心だったのに、何やら本格的な様相を呈してしまい、アメリカに長く付き合おうと思うにあたり、もっと真面目に取り組まなくては。今までみたいに、子供達の行動の補佐役ばかりではなく、私が私のことをしながらアメリカに住むという風にしたい。私の好きな場所。私の行動し安い所。思いたつと、まず引越しを始めてしまうのが癖。
 「朝の目覚めのべッドのままに、海が光って見える」のが私の究極の希みなのだけれど、ちょっと厚かましすぎる、という気持もあり、海まで歩いて十分くらい、という所を探したけれど思うにまかせず、とうとう面倒になって、サンタモニカの海、もう歩かなくても海という所に決めてしまった。
 LAダウンタウンに近い海、海に近付き、海が見えると、海に加重して住まう価格が高くなる、ということをしっかりと知ったのだが、それは、住まいの面積を小さくすることで折合を見つけ、小さくといっても、日本サイズでは考えられないアメリカの住まいは、ゆったり快適。アメリカに住むということの一番大きな恩恵は住居だと思う。
 この度、私が受ける恩恵は、コンドミニアム(集合住宅)で、敷地内に居る人物については、二十四時間セキュリティガードマンとマネージャーが把握しており、要するに得体の知れない人は一人も居ないということになり、治安が悪いアメリカという最大の難を解決してくれている。
 そして、今まで住んでいた所は歩いては何処へも行く所がなかったのに、今度は、家を出ると海の砂、椰子の生えている海。海と反対側を歩くと、ショッピングもレストランも人々が歩いている町。こんな所にたちまち住み始めてしまって……あとは私が手応えのある生活をすることだけ。

 
 

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