アルゼンチンつれづれ(149) 1991年04月号

戦争へA

 二月、穏やかな陽射し、サンタモニカ晴れにさそわれ、海に出てみる。清潔な輝かしい大きな砂浜に、水着、Tシャツ、短パン、ローラーブレード、スケートボード、自転車……。各々のルーツをしのばせ、限りない程の人種がリラックスしている。
 この今、ぺルシャ湾岸では戦いが。植物の気配の見当らない砂漢で、身が心が痛み苦しみ、死すらたやすく……。
 同じ人間が、同じ地球で、同じ時刻に……何という不公平。
 私のスペインヘ行くはずや、南米行きは、開戦と同時に取り止めた。たいしたことをしているのでもないのに、地球をうろついて不自由をしたり、事故にあったりするのはみっともない。それに、あらゆることに対処出来るだけの実力がない自分を知っている。
 私の消極に反し、テロ対策の海外出張自粛勧告が出されているのにもかかわらず、仕事に生きている男性は逞しい。
 クラシックバレーの舞台装置を公演先のニューヨーク、ワシントンまで完全無欠で運ぶべく、コンテナー会社の責任者としての出張の初日に、サンタモニカの私を訪ねてくれた十八年来のボーイフレンド。LA観光など立ち所に取り止め、次から次から話したい。玉由が電子レンジで“チン”と作ってくれる最もアメリカっぽい物をつまみに、夜が明けるまで。何をそんなに話たしか!って、だいたい私の仕事をして……子供を育てて……旅をして……から出てきた経験を、「こうするべきよ」「こうした方がいい」と喚いていたみたいだけれど。徹夜した分は「ニューヨークまでの六時間のフライト中に取り戻してね」と送り出した。
 二週間後、アメリカ東海岸での風物、出来事、順調にいった仕事の事、素晴しい女性に出逢えたというおまけもついて……話したい事が詰まった風船みたいになってLA帰着。今度は私が聞き役。いいな!こんな友達。
 そして、もう一人の変り種。アメリカを象徴する地球規模の銀行の日本部門のたいした仕事の彼とは、彼のニューヨーク出張途中の飛行機の中で知り合った。頂度私の「地球にて」が出来たてのホヤホヤで持っていた時だったから短歌が話題になった。「今まで、かって、歌集というものを読んだことはない」という人が、たちまち短歌を作る人、三河アララギの会員になってしまった石川さんである。まったく忙しい人なのに、いつの間にやら東西古今短歌の本を読みまくり、「私としては、このようにした方が好きだ」と彼の歌について意見を述べると、「文明先生もそのように書いておられた」という返事が返ってくることと相成り、ほとんど勉強ということをしない私を赤面させる。
 今回のLA、シカゴ、ニューヨークヘの出張の仕事の間をぬって、岸辺だけ凍ったミシガン湖……零下三十度にもなるシカゴでのこと……さっそく歌になって、サンタモニカの砂浜で超ミニ歌会が開かれた。こんなことって御伽話みたい。
そして、もう一人の彼こと由比古も難題のかたまりみたいになってサンタモニカヘやってくる。止まったらこの世の終りみたいな彼は、着くなり海辺をジョギングして、ジョギングのカロリーの百倍くらいを、たちまち平らげ、そして持ってきた難題を解きほぐす暇を惜しんでまた“飛”んでゆく。
 ただ今、大活躍の人達のエネルギーに触れつつ、戦争の終結を待っている。私だって、じっとしてはいられなくなっている。

 
 

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