アルゼンチンつれづれ(152) 1991年07月号

イグヮスの滝 ガウチョ達

 夕方のLA空港をブラジルに向けて飛び発つと、たちまち夕暮れ。そして驚いた。私の飛行機の窓いっぱいに南十字星があったのです。「あれ! もう南半球!」。何度も何度も飛んだコースなのに、こんなことは初めて。
 いつまで南十字星が私の窓に付いてきてくれるのか、とことん知りたくなって、瞬きもしない程に見つめていた。ずっと十時間。そして分ったことは、南十字星は、決して私の窓から離れることなく、向きだけを少しずつ横にしてゆき、真横になった辺り、ブラジル近くなった夜明けに見えなくなっていった。これは、いったい地球と星と私とに、どんな関係が起ったことなのかしら。
 樹海の中に、アマゾン河の蛇行を見下ろすと、もうイグヮス空港。二十五年間も上空を飛んだり、近辺を通ったりしたのに、仕事らしきこと、子供達のこと、日本へ帰るということ……に追われ、“南米の名高い滝を見る為に”ということは無かったけれど、今やっと、日本からのお客様に御一緒することになって……。
湿度と温度と……本当にアマゾンらしい。足元の蟻達にも、飛んでいる何事もなさそうなハエにまで“アマゾン、アマゾン”って思ってしまう。見ゆるすべての物々に感激の塊りとなって、南米の赤土色をした大量の水がとてつもない高さまで飛沫をあげ、轟くのを知るのです。湿度の上乗せ、滝からの水煙をもろに受け、アマゾンのジャングルへと続いてゆく樹々の近くいて“地球を歩いた、人間になれた”ような気持がしたのです。
 次に飛行機が着陸したのは、私のアルゼンチン、ブエノスアイレス。アルゼンチンでの圧巻は、カンポすなわち牧場で、国中がペッタンコ、限りなく上質の牧草が天然に生えており、恐しい虫も、たいした天災も、不味い草すら無いらしい。牛達のリラックスしている様子。
 そんな牧場で、ガウチョ達と一日遊ぶツアーがあり、私も日本からのお客様と一緒に旅人になってみた。
 ブエノスアイレス市内から三十分も車に乗ると、目的地に着く。ガウチョスタイル、馬に乗った牧場主に迎えられ、キラキラと木の葉輝く木の下より眺めるのは、どこまでも続くかの牧場。
 馬に乗る、馬車に乗る、茸狩り、生まれたての子牛を見にゆく、そして、牛にまで乗ってしまった後は、エンパナーダでアペリティフ。トロンとお酒がきいてきて、アサード(バーベキュー)の焼ける匂い、煙り……もうたまらない。私はいつでも、どこでも“アルゼンチンの肉は世界一おいしい”って自信を持って言ってしまう。
 デザートになる頃には、バンドネオンがタンゴを……。踊り子達がフォルクローレを……。私達も、ガウチョ達にさそわれて踊りに加わってしまっている。
 踊り疲れた時、牧場主のオスカル氏が私に「見せたい物がある」と百年よりもっと古い家の中に案内した。彼の曽祖父が、イタリアよりアルゼンチンヘ移り住んでより書き始めたという、いわゆる家計簿が、四代目の当主にまで書き継がれ、古びたノートが山と積まれ…。勧められて開いてみると、移住後初めてアルゼンチンに播いた麦の種、玉蜀黍の種…の値段。マテ茶、砂糖、……それはそれは几帳面に、千八百六十年代の字で。
ページを繰って年数が増えると、次の世代が創始者の葬式費用全般を書いた、棺おけの価、教会の費用……。イタリア人がアルゼンチン人となって生き続けたアルゼンチンの生活を書いてみたくなった。『ガウチョの家計簿』。

 
 

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