アルゼンチンつれづれ(208) 1996年03月号

それぞれのお正月

 地球の上のあちこちで各々の生活をしている私の家族。「せめてお正月には一緒に過ごしましょう」というのが今までのことだったのですが……。
 大変な寒さのボストンでの学生由野は、「日本はボストンほど寒くはないけれど、やはり寒いよ。冬休みには暖かい所へ行きたい」と、スイスの学校の時の友達とジャマイカ行きの計画をたててしまった。
 由野が抜けると、“集まる”ことはたちまガタガタ拍子抜け。
年末年始は休みになる日本の習慣と違って、玉由の大学は一月二日から授業がある。「日本のお正月が過ごせないのだし、その頃の日本はどこへ行くのも混雑するから、カリフォルニアに居ることにするよ」と玉由は言ってきた。
子供達の父親は、丁度お正月にアメリカのラスベガスの電気関係のフォーラムに行くから、お正月は玉由と過ごせるかな……ということで、一番淋しがりやの玉由が一人でお正月を過ごさなくてもよくなったことで、私は、ロサンゼルス行きをやめ、九十三歳の父と過ごすことにする。
かくして、我が家の自分だけのためのお節料理は作らない。私同様、年末年始の行事のない友人と暮れの日々を、日本海へ“うまいもの”を食べに出かけた。
富山湾からとれたばかりの、見知らなかった魚の生い立ちを聞きつつ、九谷の大皿のぶっかき氷の上に、みずだこの刺身は透き徹って並べられ、抹茶に少し塩を振り込んだのを付けていただいた。透明感にあふれ、もう決して忘れられない味。
甲箱という小さな蟹は、甲羅にその身を盛りつけてあり、何も付けずにいただいた。細やかにして、しっかりとおいしかった。「日本海の魚にあう酒だよ」との地酒に、この上もなくほろ酔った。一年の締めくくりがとても上手に出来た気持。
玉由は、“特別な日”を一人で過ごすのに耐えられない性格で、彼女が一人で過ごすことがいけないのと同時に“彼女の知る限りの人が一人で過ごすだろうことも放っておかれない。従って“特別な日”には、行く当てのない友人達を全員家に招いて、各々の得意料理などを作り合ってパーティをしているらしい。
このお正月には、ブラジルからの父親の得意なスパゲッティ料理も参加して、多民族にわたる人達が集まったらしい。
そして、ついでにゾロゾロ、ラスベガスのフォーラムにまで出かけたらしい。
ジャマイカで年末年始を過ごした由野の報告。「お母さん! お母さんはいつも言っていたよね。『年取ったら、パンの木が生えている所で暮らしたい』って。由野が見つけたんだよ。ジャマイカにパンの木があったんだよ。パンの実を食べたよ。もちろんホテルやレストランにあるわけじゃなく、ツアーで行ったってだめだからね。ジャマイカの友達に、『パンの実を食べたい』って言ったの。そしたら、パンの木の下へ連れていってくれて、そこで焚火をしてね、火の中に、木に登って取ったパンの実を突っ込んで、焼芋みたいに。外側の皮がまっ黒く焼けて、熱々を割ると、一瞬、焼き栗みたいな匂いがするの……一瞬だけ。それから後は栗みたいじゃなく……野菜と肉のカレー味妙めみたいなのを作ってくれて、ホカホカ熱いパンの実を添えて食べたの。おとぎ話みたいにおいしかったよ」。由野からの電話はとどまることを知らず。またまた心に残る出遇いや出来事が沢山あったらしい。

 
 

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