アルゼンチンつれづれ(216) 1996年11月号

今泉忠男・御津磯夫

 持って生まれた素質、育つ環境…人間が生きるのには様々な要素が加わるのだけれど、何をどのように食べてきたか、ということの影響は大きいと思う。
 私の父、医師今泉忠男は現在九十四歳にして、御津磯夫のペンネームで三河アララギ短歌誌の主幹を務め、この短歌誌に連載の随筆を書き、毎日何十首も短歌を詠む。今だに古を紐解く勉強をしており、いろいろな角度から現代を見据え、大勢の同人から集まってくる短歌を添削し…それでもまだエネルギーは途だえることはなく、この二年程前より、すなわち九十二歳にして『絵を描く』ということを改めて始めてしまった。
 毎朝六時、目覚めたばかりの清い時間に、身近な道具類や、いただいた土のついたままの野菜類、夕食の食材となるべき魚達、庭の草々花々等々を色紙に二枚も三枚も描く。描きあがった絵に即席の短歌を添えたりなどして。
 七時半、出来上った色紙を持って「おーい」と自室から出てくる。
 そのまま仏間まで直行して、仏様、すなわち妻米子に向かって朝のエクササイズ。重りを持っての三十回のバンザイ。慈恵医大の伝統であるというボート漕ぎ。
 そして食堂へ移ると、米子が確立したメニューが今もそのまま。米子が「この人を」と探しあてた長男の嫁によって受け継がれ守られてテーブルに並んでいる。
 まず甘い物と抹茶をいっぷく。ショットグラス半杯の大分のカボスのしぼりたてジュース、西浦の甘酢もずく、大根と人参の生酢、しらす大根おろし、半熟玉子、千六本の大根と南瓜・若布・豆腐・しめじだったりなめたけだったり…の八丁味噌のおみおつけ。最近納豆も加わった。
松浦漬、玉木屋のデンブ、今半の肉のつくだ煮、鮭のほぐしたもの、練り梅干し。三河の海苔はどの場面にも登場する。
デザートは、摺りおろしりんご、その他季節の果物を二、三種類を少量づつ。
ビタミンや消化剤をふくめた五、六種類の薬を飲んで朝食は終わる。
たちまち正確に十二時の昼食時間がやってくる。
バターとジャムをつけた食パン半分程とカステラを一切、牛乳一・五合、蜂蜜入りヨーグルト。もう一皿には、青菜とローストビーフ等の動物タン白質が少々、チーズ一切、トマト数切。デザートは摺りおろしりんご等、朝食と同じ。
昼食後は自室のベッドで昼寝。目覚めて三時には、プロポリス入りヤクルト、おまんじゅうなどお菓子。後、辛い物としてせんべい等。
そしてまた正確に夕食の六時。
コップ一杯のキリンビール。「生酢」と「もずく」は朝と同じ。ホウレン草とかモロヘイヤ等の緑色野菜のお浸しには、コキコキと削りたてのカツオ節を山盛りかける。鯛や平目等白身の刺身、もしくは三河湾の煮魚。焼魚が好ましいけれど、鳥のササミのフライとか、カキフライ、ハンバーグ、ビーフシチュー。やわらかい調理方法であれば何でもOK。私が東京から父の初めての味を運んで戸惑わせるのだけれど、キッシュや茸のスープパイ包み餃子や肉まんじゅう、田園調布の『醍醐』の鯖の棒ずしが首尾良く手に入ると安心して父の家に帰ることが出来る。
ずっと長いこと、父とこんな風に晩酌するなんてこと思ってもみなかったのに、九十四歳の現役以上の父の生活に、ちょっと参加出来る幸せを思う。

 
 

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