アルゼンチンつれづれ(240) 1998年11月号

玉由の勉強

 「ニューヨークヘ行くことにしたよ」。とロサンゼルスの玉由から電話があった。
 一週間前には、ロサンゼルスで日本のテレビ用のコマーシャル作りやミュージシャンの音楽作りに係わっていて、いまをときめくタレント達のエピソードを面白おかしく伝へてきていたのに。
 私は、日本で、玉由の係わったコマーシャルなんぞをテレビで見て楽しんでいた。
 「玉由の人生こういうことだけしている訳にはゆかない、さあ勉強を始める」と。
 地球に散らばっているわが家の中心的位置をつとめているロサンゼルスの生活を、ひとまず中止するという大騒動をどのように解決したのか…私はこういうことは見ないことにして、玉由が解決をした結果だけを聞く係になっている。
 言い出してから一週間後には、スーツケース一つでニューヨークの由野の家へ居侯をしてしまった。
 たちまち法科の学生生活が始まったこと。由野の家から一時間くらいかかって通学すること。通学路にホームレスのシェルパーがあり、シェルパーの一日の費用が10ドルかかり、法律の本が一冊10ドルで売れるとかで、抱えて歩いているとよく狙われるのだということ。「護身用にピストルを買おうかな」。私は、「絶対にだめ!そこを通ってはいけない」と電話で叫んでいた。
 素直に別ルートで通学することにしたらしい。
 「どんな学生がいるの?」
「玉由みたいに他の大学を卒業してから、働いて、それからまた学生になりにきている人が多い。ほとんどといえるくらいの人種が集まっている。お母さんくらいの年の人もいる。お母さんもチャレンジして同級生になれるよ。
 どこそかの大学でトップクラスだった頭の持主ばかり、それもガリ勉とかいうのではなく、玉由も辞書を暗記したりするの平気だったけど、そんなもんじゃない。皆、本格的に頭が良い。
 今年入学したのは二百人。クラスは二十人一緒で、クラスメイトなんて言わないの。“将来社会で一緒に仕事をする仲間”って呼ぶんだよ。クラスは二十人だけれど、二百人全員が知り合うように、大学側がいろいろ気を使っているんだ。だからもう二百人の全員を知っている。」
「どんな勉強をするの?」
 「今、犬に噛み付かれた時どうするか、というところを読んでいる。
 膨大なぺージ数を読んで、それも通り一遍じゃなく理解して、いろいろなケースを想定して…。
 皆で語し合い、それぞれの人がどのように解釈するか。うやむやのまま終るということはないし、自分サイドだけの考え、ということもない。」
 「弁護士になるための勉強の5%はもう終わったんだよ。このまますぐに95%も終わってゆくね。」
 一人になりたくて高校の時から家を出て行った由野の所へ、いつでもにぎやかで大騒動の玉由が入り込んで、「ま、家族してみるのもいいか…」とぼやきつつ、「クリントンさんの騒動や為替ルートの大変動…もう由野の仕事は忙しくてたまらない。由野だって、部下がいる身分だぞ。なのに由野が結局ご飯作りをすることになるんだ。今日は肉じゃが作ったよ。玉由は、残り物は食べないんだ。どうして由野が残り物を食べることになるんだろう!」

 
 

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