アルゼンチンつれづれ(251) 1999年10月号

湯の丸高原

 「こんなに暑くては何も出来はしない!」それでも外出をせざるを得ず出掛ける町中は大変な人混み。顔も身体も着ているものもぐしゃぐしゃになってほとほと。
 このすさまじい暑さの最中、山はもう秋、高山の花々が終わってしまう頃。今行かないと来年まで見られない。来年のことなど、どうなっているかわからないのだから、やはり今すぐ行くしかない。
 高山植物が花咲いているあたり…「とても私ごとき怠け者の行かれる所ではない」と完全にあきらめていたのに、「山の花も描きたい」と大それた発想になった。
 今までに、私が行ったことのある一番高い所といえば、アルゼンチンからボリビアヘ至るパンアメリカンハイウェーを走った時。
 日干しレンガの屋根のない囲いがポツンポツンとあってインディオの住まいだった。リャマが各々の所有を示す赤いリボンを付けていて、色のない所ですごく印象的だった。ほとんど草も生えていないような、もちろん木などなかった。車から外へ出ると、まっすぐには歩けなかった。お腹がすごくいたかった。
 海抜四千メートルだったから、高さには見おとりはないけれど、ただ車で行っただけ。 よく山歩きをしている絵描き仲間の指導のもと、中高年の山での遭難なぞを頭におきつつ、雨具、携帯食、大義名分のスケッチ道具…たちまちたいした重さになった。こんなの担いで山に登れるのだろうか。階段の多い東京での生活をこなしているだけの体力。
 目的地は群馬県と長野県の県境いあたり、湯ノ丸高原という。日本地図を大きく拡げ、まるで山登りみたいに地図の上に乗って、軽井沢、小諸、上田、浅間山…大きな名前の中に、ほんの小さく書かれた湯ノ丸高原を探しだした。
 道中は気楽なもので、上信越自動車道をひた走る車の中から、畑の作物、遠く見る山々リンゴの木に青リンゴのなっているのや…みとれていればよかった。
 東京を朝六時半に出発して、九時半にはこれより車の入れない所、二千メートル近くまで辿り着いていた。大きな駐車場に車を止めそれよりやっと自分の歩みで登る。
 ロープで示されている山道を、天然自然の草々に出逢いながら歩けばよい。
 まず背高い柳蘭に。花は咲きのぼり時は末花。本当に“今”でなくてはいけなかった。 九蓋草の巧みな造形、山母子、深山薄雪草。藤袴かと思うと沢鵯だった。
 岩茵陳、白山沙参、高嶺松虫草、御山竜胆、自根人参。深山猪独活が濃い紫の種をもちつつ白い花も咲かせていて美しい。立ち去りがたい。白山風露がはかなげにゆれ、小梅鉢草がリンと白い。裏白蓼が栄えている。
 岩礫地の駒草など花は終わっていたけれど盗人より金網でもって守られ、吾亦紅が本当に紅い。
 ロープが張られた細い山道でスケッチをするわけにもゆかず、それよりもやはり荒い息をして、足はワナワナして、余裕なんてありはしない。でも高山植物図鑑を持って、その草々も間違いなく記憶にとどめた。いっか絵になるだろう。
 三時間ほどの歩みで、三十種類にもわたった今咲く花に出逢い、父の行ってしまった極楽浄土に少し近づけたような、そんな気がしていた。
 山を降りてから、信州のソバの畑のソバの花を、ゴマの畑のゴマの花を、描いた。

 
 

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