アルゼンチンつれづれ(260) 2000年07月号

ラトラーズ法科大学

 先祖より続いている日本の、親戚や肉親との関わりのなかにいると、気付かなくても過ぎるけれど、私の子供達は、生まれた時から人種、民族の違い、外で遭遇した差別など、私を悲しませないよう、決して話したりせず、何事もなかったように明るく、社交的な、希望ばかりを思わせて育ってくれた。由野は父親の仕事の続き電気関係のコンピューターエンジニアに。
 玉由は、社交的な性格と外国に生まれたことを利点に外交官に。外交官には、まず弁護士にならなければいけない。赤ちゃんの頃であったけれど申し渡した。
 玉由はひとまず経済学を卒業したのだけれど、赤ちゃんの時の記憶がよみがえり、法科の大学に行き直している。
アメリカの法の勉強をして将来、日本とアメリカとの弁護活動をしようと私の日本の意見を聞いてくる。そして常に話し合っている。
 玉由が、アメリカにおけるマイノリティであること、女性であること、それにもめげずアジアのために、女性のために、…と。私は、そんな大それたことを考えださなくても、せめて自身の範囲を思いどうりに出来ればいいよと言っているのだけれど。
 今、相続のことを勉強していると。日本みたいに、先祖からの続きも、親が築いた物も思い出も…、全部長男が独り占めにしてしまう、なんていう法律は世界中どこにも無いよ。
 同じ両親の兄弟姉妹に順序や差別があることがまかり通っているなんて…。
 最近やっとセクシュアル・ハラスメントをいわれだしたけれど、日本は、ひどい女性蔑視の国。女性の実力を正当に評価しようとしないのだから…。
 玉由や由野が日本で悔しい思いをしたことを、日本に居る私を気遣ってくれる。
 ニューヨーク滞在中の一日、玉由が、「今から授業に出るから一緒に行こう」と誘ってくれた。
 アメリカの教科書は巨大だ。その大きなのを何冊か担ぎ、抱え、こんなに重いものを長い時間持っていたら身体に悪いのではないかと思ってしまうほど。
 我家があるビルの下が地下鉄の駅になっていて、あれこれ乗り換えれば、どこへでも行かれるようになっているらしい。
 三つくらい先の駅で乗り換え。今度は、汽車といった方が似合っているような時代がかったのに乗り、ハドソン河の下は、トンネルで通る。抜け出ると、心細くなるほど葦原が続き、所はニューワーク。フランク・シナトラの生地。ブロード・ストリート駅から、ラトラーズ法科大学まではタクシーに乗る。
 通学にタクシーを利用するなんて…と思うが、これは護身の術だと知る。
 大学の街でも、学生がそれほど大勢いるというのでもなく、法科だけの弁護士になるための大学だから、そんなに沢山の学生がいるわけではないのだとか。
 大学内を案内してもらい、玉由の当日の授業の教室ものぞき、教授にもあいさつをし。ゆったりとした段差の教室、学生は二十人程。『法科大学の図書室』で、授業が終るのを待っていた。アメリカの弁護士になってゆく過程を知ることができ、何だかジンとしてしまった。
 帰り道は、ハドソン河を連絡船で、ニューヨーク摩天楼群に近づく。ウォール・ストリート近くに着き、ここには、やはり『株』らしい顔をした人々がゆききする。ワールド・トレードセンターの百七階、四〇五Mもの高さから、ハドソン河、玉由の大学、我家、ニューヨークの街…を見渡し、自由の女神がすぐ近い。女神は女性なのだ。

 
 

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