アルゼンチンつれづれ(275) 2001年10月号

隅田川スケッチ

 隅田川へのスケッチに通いはじめると、東京湾からはじまって、隅田川に架かる全部の橋に向い合ってみないと何か不公平みたいな気がして…。順序よく、というわけでもなく、一人で出掛けるか!友人達とゆくか!スケッチをしたあと、何を食べることにしようか!いろいろな条件のもと、行き先が決まる。 東京湾のお台場に架かるレインボー・ブリッジにはじまり、勝関橋、佃大橋、相生橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、新大橋、両国橋、総武線の橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、吾妻橋、東武伊勢崎線、言問橋、桜橋、白髪橋まで。
 小名木川が隅田川と合流する所万年橋。堅川に架かる一之橋から二之橋、三之橋…。神田川の柳橋。山谷堀の今戸橋。隅田川に流れ込む川の橋にも興をのばしてゆくと、あまりに沢山になり、“暑いの”“風が吹くの”…とも言ってはいられない、せっせと出掛けてゆくことにしている。
 レインボー・ブリッジとは、名前を呼ぶのが気恥しいネーミングだけれど、スケッチをするにあたり、本当に自分の足で歩いて渡ってみた。
 “歩く”などとは普通には考えつかないような長い橋で、まず車のための橋。狭くついている歩道をゆくのだけれど、絶え間なく走る車の風圧をもろに受け、海よりの風も台風並激しかった。それはそれは、ふっ飛んでしまいそうな思いをしたのだった。
勝鬨橋を渡り晴海側から描きはじめたけれど、あまりに長い橋で、とてもスケッチブックには治まらない。いつか巻紙を持って行って描き直しをしようと思っている。
佃の渡しが無くなってしまった佃大橋。徳川家康の時、大坂佃村の漁師を移住させた佃島。佃煮の名前の元。何首か残る土屋文明の短歌とは移ってしまった風景を思いつつ、同じ場所に居ることを思いつつ描いた。佃煮も買った。すぐ近くの月島の“もんじゃ焼”も食べた。
相生橋、中央大橋とその周辺は一日のうちに精いっぱいを。
永代橋。川の面と橋桁が一番近い。美しいアーチの橋。この橋は、何といっても永井荷風を思う。永代橋のまん中あたりかな、他人に見せられない、きっと艶っぽい描写の原稿だったのでしょう。風呂敷に包んで運び、投げ捨てたのだとか。引き潮に引かれ、東京湾の方へ流れていったのでしょう。何度も何度も。その時の彼の姿や、彼女を供なったであろうことなどを、『すみだ川』『墨東奇譚』、隅田川っぷちは、永井荷風をふまえてスケッチをする。
清洲橋を目指した時は忙しかった。芭蕉庵があった所だから。
小名木川の万年橋を渡り、「芭蕉翁の碑」あり「芭蕉稲荷」あり「芭蕉記念館」あり。そして、清澄庭園、深川資料館。とうとう深川飯まで食べてしまった。
やっと絵を描きはじめると、雨が降り始め、水彩画は、雨に濡れ濡れの絵になった。
柳橋辺りを、うろうろしていた時、すぐ横に見えたのが両国橋。テラスがついていて、好ましい橋。
両国国技館に近い橋。芥川龍之介の住居跡がある。幼児の龍之介、小学生の頃、中学、高校…幾度も幾度もこの橋を通ったことでしょう。新聞に『本所両国』を書いた。そして、すぐ亡くなった。そんなことが心にありながらスケッチをしていた。 つづく

 
 

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