アルゼンチンつれづれ(286) 2002年09月号

日本橋

 徳川家康は、江戸城を築くにあたり、江戸を通る五街道、すなわち東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中の日本の道路の起点に、日本橋を流れる日本橋川に『日本橋』を架けた。四百年に一年だけ欠ける昔。
 大名行列や江戸の日常がうかがい知れる広重の『日本橋の朝』の錦絵の太鼓橋とは、現在の私の日本橋を渡る度に思いえがく図。
 そして、架け変った現在のルネッサン式石橋も大変立派で、キョロキョロドキドキ、さっさと通り過ぎることなど出来はしない。
 日本橋親柱の、東京市のマークをつかんでいる獅子や、電飾灯、アーチ部分が美しい、日本橋中に獅子が三十二頭もいるそうだ、まだ全部みつけてない。
 東京オリンピックの年、高速道路が日本橋に屋根のように覆いかぶさり、心なければ橋があることにも気付かない程の様子を呈している。日本橋の袂にある「トミー画廊」において、「江戸文字」仲間と作品展をした。
 トミー画廊に居て、向う側は、日本最初の百貨店、日本橋三越。昔は、富士山まで見渡せたという所。
 左側は、もちろん日本橋。日本橋を渡ると、父母が東京に出掛けてくる度にお供した、「和紙の榛原」。日本全国の選りすぐりの和紙にであえる。外国に行くにあたり、榛原の和紙に甘え、心の拠り所に和紙を沢山持っていった。
 右側には、「日本画材の有便堂」横山大観はじめ巨匠たちの画材店。晩年の父の色紙絵の絵の具をせっせと調達した店。私も、せっかく日本に帰ってきたのだから、ここの日本画用品を使わせていただこうと思う。
そんな日本橋のただ中に、自分の作品を掲げることができ、日本に帰ってきた思いを新たにした。
 長い外国暮しで、外国に居ては出来なかったことをしよう。思う存分日本に浸ろう。
 東京下町に住んでみよう、と住みはじめた王子で「江戸文字、凧絵」の伝統工芸作家にであった。江戸文字、勘亭流、凧絵、凧作り、したがって凧あげ。など習い、かつ遊ぶ。もんじゃ焼のおいしい焼き方までも。
 毎年、初午に凧市がたつ王子稲荷神社の隣りに住むから、お稲荷さんの火防御守護の奴凧は、我家を守ってくれている。
 まず凧市などということもめずらしかったし、大小様々な種類の凧が並ぶ様は驚く。
 江戸時代から続く久寿餅屋の店先に、巨大な武者絵の凧が飾られている。毎年、凧市で新しくするのだそうだ。私は、その大凧が欲しくて仕方がないのだけれど、飾る場所もないことだから、久寿餅や心太やあんみつを買いに行っては見てくる。
 電柱も電線も木もない、広い河川敷、荒川土手に自作の凧をあげにゆくことがある。伝統工芸凧絵師の設計の凧は、確実によくあがる。
 遠い空で、自分の絵がどう見えるか、ぐいぐいと糸が引かれると、本当にうれしくなる。
 自分の絵の中に江戸文字を生かし、江戸文字の中に自分の絵をしのび込ませ、そんなことを目論んでいる。
 「江戸文字」をはじめたから、日本橋にまででしゃばることが出来、江戸時代から続く老舗のあの味この味。おこがましいとは思うけれど、せっせと味わった。味も上手なもてなしも、いづれ私の作品へと。

 
 

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