アルゼンチンつれづれ(289) 2002年12月号

伊根の舟屋

 丹後半島の先端近い伊根の舟屋。伊根湾の汀まで山が迫る狭い地形。二百三十軒もの舟屋が、海に面して建ち並ぶ。
 二階建の舟屋の一階は、沿岸漁業の大きくはない舟を揚げる舟のガレージ、兼出漁の準備、漁具の手入れ、等の作業場。二階を居室。
 いつの頃からか、この風景の中へ入り込みたい、との思いにかられていた。
 京都府の伊根町へ出掛けてゆき、ただ絵を描くだけ、という一泊の旅を、仲間達が計画してくれた。
 早朝に東京を発ち、京都駅からマイクロバスに乗り、どうせ京都の内、すぐ着くだろうと思っていた、ところが延延。午後も夕焼近くなり、やっと辿り着いた。
 途中、たおやかな山脈に、幾重も囲まれた丹波篠山盆地、ちょっと枯れ色がまじる黒豆畑けの中を通り、お正月の煮豆とか、味噌、枝豆…黒豆なくしては過せない、あこがれのその稔りの景色に出会え、すっかりうれしくなった。
 篠山のサービスエリアで見つけた、焼きたての黒豆パン、頂度お昼ごはんに、と一つ買った。パンの中に黒豆がポコポコあまりに沢山くっついていて、パンと豆のミスマッチかな、と思ったのが、黒豆がふっくら、固からずやわらかすぎず、ほのかに甘いかな、という味付けで、かみしめておいしく、「しまった」。
 サービスエリアにあった大山盛を全部買ってしまえば良かった。帰り道には、いっぱい買って帰ろうと執着した。
 道標に、大江山を見つけた。「あの百人一首の!」
大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立    小式部内侍
 小式部内侍の母、和泉式部が丹後に赴いている時、母親の代作などではなく、小式部内侍自身の歌ですよ、と実力を証した歌。
 私のこの歌との出会いは、小さかった時のカルタ遊び。「『ふみもみず』、踏みもみずすなわち、行ってはいない、ということと、文もみず、たよりもないということの、掛け詞になっている」と父から教わったことが私の生涯の記憶と続いている。
 歌のまま、大江山などと遠くまで来れる所とも思わなかったのに、来てしまった。
 京都駅から、大江山へ、たしかに遠かった。そして、目指していたのは、なお遠い丹後半島の先端近く、日本海。
 やっとやっと目的地に着いた時は、冬のはやい夕刻。空の色も海の色も刻々と変る夕焼の舟屋を急ぎ描き、もう一日あるのだから、明日ゆっくり描けば良い、と思った。
 一夜を泊る宮津のホテルに着いた時は、暗くなっていて、闇の窓のカーテンを閉め、よく朝、目覚めには、天の橋立が全けく見下ろせる窓になっていた。
 天の橋立の見下ろせるホテルに泊るという発想もなく、遮二無二舟屋の絵を描くことを考えていて、気付くと、知らなければいけなかったこと、興味深いこと…いっぱい後からついてきた。
 二日目の舟屋スケッチも、遠く来た道を遠く帰らなければならず、あれよあれよと帰る時がきてしまい、またの行き直し、を余儀なくされはしたけれど、この地方のことをもっともっと知りたい。天照大神のもっと前、元伊勢籠神社があり、天照大神の生地でもあると。知り始めよう。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。