ことのはスケッチ(454) 2016年(平成28年)11月

「明星」

  「これはね、ジョン万次郎の初孫の中濱絲子さんが、手ずからお渡し下さった帯留なの、これからは貴女に持っていて欲しいの」と高山福子母から私に渡った。翡翠に、小花が浮彫りされた、やさしい帯留。
 私の、長い外国での生活の拠り所だったし、今も私の中心にある。
 「明星」の歌人であった「中濱絲子」を調べたく、近くの図書館へ。「明星」誌は消滅してしまったけれど「復刻版」は、 都立麻布中央図書館で閲覧出来ることを教わり「麻布十番」に着く。
 すぐ「永坂更科」に出あう。医学生だった父が繁く通った蕎麦屋であり、私の、東京での学生だった頃、父母の家へ帰る時には、永坂更科の色白の蕎麦と、口細のぷっくりした壷に“蕎麦つゆ”を入れていただき、おみやげに持参したものでした。懐かしい、大切な思い出。まだ私のところに“永坂さらし ”と書かれた壷が大切にしてある。
 大木に囲まれた麻布図書館で、「明星」を全部数見せていただきたいことを頼み、長く待った。「奥の方から出してきますから、時間がかかります」とは知らされていて。厚いハードカバーの本が十二冊、「元本」といわれた大きなサイズ が厳重に一冊。
 まさかの大量の本に、どう運べば良いのかわからなくなっていると…スーパーマーケットにある買物用の車があり、「これ使って良いです」と。
 ちょっと昼食前に…と思ってきたのに、これだけの本をかかえて…図書館は、夜の九時まで開いているという。「よし全部読む」。
 原本と復刻版と重なっているところがあったから、どんどん読み進んだ。身体が椅子の形になってしまった頃、一応、読み終えた。
 明治時代のすごいドラマが行間からとび出してくる…たじたじしてしまう。でも、私の帯留に、深く厚い思いが加わってきた。

 文芸誌「明星」。与謝野鉄幹主宰。1900年(明治33年)〜1908年(明治41年)。
 与謝野“寛”を“鉄幹”と名付けたのは「大田垣蓮月」であるとの記述にまずびっくり。
 与謝野鉄幹は、落合直文に師事、明治33 年新詩社を創設。「明星」を発刊。詩歌を中心とする月刊文芸誌。100号で 廃刊。与謝野鉄幹、与謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、山川登美子、中濱絲子らが属した。

明治三十三年四月    明星 第二号 落合直文
○ 名もしれぬちひさき星をたづねゆきて住まばやと思ふ夜半もありけり
○ちる花のゆくへをいづことたづぬればたゞ春の風ただ春の水

紅鶯集  中濱糸子
○梅かをるおぼろ月夜に大きなる佛もいます鎌倉の里
○友こふるおのが心にひびくらむ常よりさびし入相の鐘
○音たてて流れもゆくかみなかみは厳間の苔のしづくなれども
○みだれちる花の色のみやさかにて春雨くらき庭の面かな
○知らであらば雲ぞといひて厭はまし月にかげある富士の神山
○心ある人ならばとも思ふだに月にむかひて面なかりけり
○おく露の硯にうけてゐがかまし蝶の舞ひよる山吹の花
○花の香をしるべにはして尋ねみん霞みこめたりたそがれの宿
○衣ぬふ母のかたへにねたる児の夢やすからぬ姉の鞠歌
○今ここに惜しき袂を分つとも又のあふぎを名におへとなり

花がたみ  鳳晶子
○小松原なきてむれたつ雉子の尾を更にいろどる夕日かげかな
○しろすみれ櫻がさねか紅梅か何につゝみて君に送らむ

明治三十三年 五月 第三号
小扇   鳳晶子
○ 野ばら折りて髪にもかざし手にも持ち永き日野べに君まちわびぬ
○木下闇わか葉の露か身にしみてしづくかゝりぬ二人組む手に

川狩   虚子
○へうたんの酒に酔ひたる夜振哉

新詩社詠草  中濱糸子
○とろろむる雪のしづくのここちして花の小雨に我れ立ちぬれぬ
○ 牡丹剪りてをさなき髪にさしやりぬおもわに似たるくれなゐの花
○夢に見し船の行方を問へるかな父に添寝のをさなき弟
○病あしと都の方に傅えけん母のきて泣く夢を見しかな

山川とみ子
○去年の春蝶を埋めし桃の根に菫も江いでて花花さきにけり
○新星の露ににほへる百合の花を胸におしあてて歌おもふ君

小生の詩  与謝野鉄幹
○やまと歌にさきはへ賜へ西の空ひがしの空の八百萬の神
○ひとり身のこの河下に釣垂れてたのしくもあらず春夏秋冬(はるなつあきふゆ)

明治三十三年 七月 四号
凉扇  落合直文
○滝壺にわが投げ入れし歌の反古浮きて沈みて又浮かずなりぬ
○岩清水たちより見ればその底に痩せしわが影老いし松影

つづく

 
 

 


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