ことのはスケッチ(460) 2017年(平成29年)7月

○藤原俊成 永久二年(一一一四)―元久二年(一二〇四)
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家、歌人。藤原定家の父。
 新古今時代の主だった歌人の師匠であり、「古来風躰抄」「長秋詠藻」「詞花和歌集」に採録。後白河院の命に「千載集」を撰進。後鳥羽院の命に「千五百番歌合百首」など詠進。
 古今和歌風形式に大きな役割を果し、名実ともに歌壇の第一人者であった。
 蒲郡俊成短歌大会は、十二回を続けられ、平安時代に三河の国司を務められ、蒲郡を開発し、熊野三山や江州竹生島から自社を勧請された俊成、定家以来の歌学を今に継承されている。
藤原俊成の歌
・ ながめするみどりの空もかき曇りつれづれまさる春雨ぞふる
(玉葉102)

・ 面影に花のすがたを先だてて幾重越えきぬ峯の白雲
(新勅撰57)

・ いくとせの春に心をつくし来ぬあはれと思へみ吉野の花
(新古今100)

・ 雨そそぐ花橘に風過ぎて山ほととぎず雲に鳴くなり
(新古今202)

藤原俊成の歌論。
 歌はただよみあげもし詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも、聞こゆる事のあるべし
(古来風躰抄)

明恵(みようえ)上人 承安三年(一一七三)―貞永元年(一二三二)
 紀州、有田に生まれる。鎌倉時代の華厳宗の僧侶。後鳥羽上皇より栂尾の地を下賜され、山寺を開山。栄西請来の茶の種子を栂尾に播き、茶の普及をした。
・ あはれ知れと我をすすむる夜はなれや松の嵐も虫の鳴く音も
(玉葉615)

・ 山寺に秋のあかつき寝さめして虫とともにぞなきあかしつる
(上人集)

・ くまもなくすめる心のかがやけば我が光とや月おもふらむ
(上人集)

文覚上人遠忌の日
・ 九ここのめぐり春は昔にかはりきて面影かすむ今日の夕暮
(風雅2039)

・ 書きつくる跡に光のかがやけば冥くらき道にも闇ははるらむ
(新刺撰624)

・ あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月
(上人集)

源 実朝
 鎌倉三代将軍源実朝、就任拝賀の式を鶴岡八幡宮にて執り行った時、甥の公曉に暗殺さる。

金槐和歌集より。
・ 箱根路をわがこえくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ

・世の中は常にもがもな渚こぎあまの小を舟の綱手かなしも

・ 世の中は鏡にうつる影にあれやあるにもあらず無きにもあらず

・神といひ仏といひ世の中の人の心のほかのものかは

・ ものいはぬ四方(よも)の獣(けだもの)すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

・山は裂け海はあせむ世なりとも君に二心(ふたごころ)わがあらめやも

賀茂真淵 元
 江戸中期の国学者。歌人。元禄十年(一六九七)遠江国、浜松庄に生まれる。生家は京都賀茂神社の賀茂氏の末流。八代将軍吉宗の次男田安宗武の庇護を得て、古典研究に専念。万葉集への傾倒。

賀茂翁家集
・うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山さくら花

上野の花ざかりに
・かげろふのもゆる春はるひ日の山桜あるかなきかの風にかをれり

・陰ふかむ青葉のさくら若楓夏によりてもあかぬ庭かな

早苗を植える時
・ さなへ草植うる時とてさみだれの雲も山田におりたちにけり

・遠つあふみ浜名の橋の秋風に月すむ浦をむかし見しかな

・秋の庭のほがらほがらと天の原てる月影に雁なきわたる

・ 神無月たちにし日より雲のゐるあふりの山ぞ先づしぐれける

・おもふ人来こてふに似たる夕ゆふべかな初雪なびく篠の小薄

・ 雪はるる朝けに見れば不二の嶺のふもとなりけり武蔵野の原

 
 

 


Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。