ことのはスケッチ(314・315) 2005年(平成17年)2月3月

『ションの日本』(前編)

「ションがね、まだ一度も日本へ行ったことがないから、お正月休みに連れていっていいかな?お母さんの家に泊めてね」

「ション」とは、十何年来、カリフォルニアスケート時代からの玉由の友人、兄妹みたいに親しくしていて、したがって私とも十年来の友人。
その後、彼はサンフランシスコの最高ランクのレストランのソムリエとして働きナパパレーやソノマなどカリフオルニア・ワインの産地へは、ションと出掛けた。美しく整ったブドウ畑の中のワイナリーでのワインの試飲のこと、様々なワインの知識をションから教わった。
ニューヨークに住む玉由と由野が、サンフランシスコのションと一緒に我家にやってきた。日本間をションの部屋に、玉由が図書室、由野は書斎に、と家中が満員になり、ションの日本探索開始。
アメリカとの時差で夜中には皆目覚めてしまったから、まだ真に暗い寒い朝、「日本の食の源」築地市場へ出掛ける。
鮪がゴロゴロしているのを見ようと場内を目指す。本職の人達が、本当に忙しく、前後左右、どの角度もスキなどありはしない。さぞ迷惑でしょうことは知りつつも、命掛けほどに突き進み、何と沢山の種類の魚が食べ物になっていること。人間は、こんなに沢山の命を食べてしまうことに眩牽がする。しかと多大な鮪を見とどけると次。寿司屋で、あれもこれも。英語やジェスチャーやらまじえ、どんどん食べてしまうのだった。
築地の神様、波除神社の茅の輪をくぐり、今年の興行は終ってしまったけれど、せめて歌舞伎座の前を通る。銀座四丁目の交差点より一帯を見まわし、皇居をも望む。そして、明治神宮の御祓いを受け、経験したかったということ、是非知って欲しいと思うことはあとをたたない。
ションの日本二日目。京都を知って欲しい。新幹線の道中、富士山あたり雲がかかる。ことのほか富士山をみたがっていたションの手にしているカメラが役にたたない。
京都では、先日みつけた石峰寺の伊藤若沖の石仏と貫名梅屋撰文の筆塚とを、どうしても見せたく、私もいま一度筆塚の文を読もうとしてみたい。

JR奈良線の一つ目の駅、東福寺よりはじめる。

東福寺の、冬枯れもみじの木々のなか、雄大、荘厳、建築実にひたり、そのまま歩いて歩いて、伏見稲荷神社。赤く続く鳥居の中へもわけ入り、妙な気特にもなり。また京の家々の路地を伝って石峰寺へ。
筆塚のまわりをくるくる回り、善かれている漢字文を、デジカメに撮り治め、裏山の石仏達は、すっかり枯木の中におられた。ションもこの石仏達の一体一体にあいさつをしてまわっていた。全山冬枯れのなか、一本のもみじがみごとに紅葉していた。雨が降るのが心配だった日に、一筋の太陽が一瞬。紅葉が輝やいた。「若沖と貫名梅屋からのプレゼントだ」と叫んだのはションだった。
そしてまた歩く。ソムリエであるションに日本の酒倉の町並、酒造りの様子をみせたく、伏見桃山へ。
弥生時代にまでさかのぼる日本酒造りの様子にであい、日本酒のきき酒をし、何本かを携えると、早朝から始めた今日の日も暗くなりはじめていた。

『ションの日本』(後編)

今の世の中にあるとは思えないほどの静寂、清閑な宿、限りなく無であった眠りより覚める。
八坂神社の神様に守られた神々しい静かさを、まず一番に感謝して、京都二日目のはじまり。
「スターバックのコーヒー」を飲まないといけない体質のションに、祇園の町並のなかにもあった「スターバック」をみつける。祇園のロゴ入りマグカップを見つけたションの上等の笑顔。
しっとりと細い雨が降ることも京都らしく、「一力」をはじめ、お茶屋さんの朝の雰囲気を立ちどまり、歩き、貫名梅屋のお墓のある高台寺へと。

このごろとみに華やかになってしまった高台寺の観光道順の矢印をはずれ、檀家の墓地への道を登る。以前、お参りにきたのは、身を引き締めるような、欝蒼とした墓原だつた。パーツと明かるく、そのぶんだけご先祖様が身近に感じられ、ニューヨークから、サンフランシスコから、お参りに来たことを心にとどめ、「私の遺言」の部分を終える。「ねねの道」「石堀小路」…通ることがうれしい、二年坂、参寧坂…路地を伝って清水寺へ。
高々と遠望を、広々と清水の舞台を踏み締め、舞台を支える百何十本かの太く直立する柱の神々しいまでに力強い造形美。昔の建築家の大きなセンスにふれ得たような。どの角度からも美しい清水寺が、どんどんションのカメラにおさまってゆく。
「金閣寺を絶対見せたい」と、とび乗ったタクシーが渋滞で動かない。
寺社の拝観時間は、はやく終ってしまう…。あせってもどうにもならず、洛北ゆきから方向を変え、三十三間堂へ。
入館可能へと走り込み、はじめて日本にやってきたションに、この世とも思われない景観、千一体の千手観音にあわすことが出来た。 典型的なアメリカ青年のションが、「絶対また来る」気持を表明し、見せたかったのに見せられなかったことを沢山残し、「また」の機会にたくして京都より東京へ。

短い滞在を無駄にしないよう、家にとじこもらないで出掛ける。浅草、浅草寺へ。道中雪が降りはじめた、「どうせすぐ止む」とはしゃいでいたのに、雪はどんどん降り続け、増々激しく、仏閣に五重の塔に降るものを「何と美しい」という言葉も震える。傘は重く、持つ手はかじかみ、足元も、足跡が深くなる。寒いこと限りない、ションは「浅草は寒い」とインプットしてしまったにちがいない。
寒さの外をのがれ、地下鉄に乗り、ずっと地下のまま話題の六本木ヒルズヘ。

日本の古い部分ばかり連れていってしまっていた。やっと欧米風のビルの中に入ることになり、そのビルが日本風発想であることをおもしろがるション、外人の目と一緒に見る日本はいつもと違う。
六本木ヒルズの中には何でもある。ビルの上方より、雪が降っている三百六十度の東京を展望。美術館では、限りなく美術の顔になり。 ビルの地下深く、原始にかえり炭火で海の物、山の物、何なりと焼きながらいただく方法の居酒屋に落付く。 大きな蛤が焼ける匂い。椎茸が、エリンギが。マコモダイの妙な食感。
一節ばかりの竹筒に入った日本酒、竹の移り香。
ションのおかげ、楽しい日本を新たに。

 
 

 


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