ことのはスケッチ(327) 2006年(平成18年)3月

『玉由と』

「今、ロスアンゼルスの飛行場にいるの、もうすぐ飛行機が出て、日本へ行くよ」「今、変な時間だったらゴメンネ」。午前三時にとび起きたのは、玉由からの電話だった。

そういえばもう一年も逢ってない。お互いに忙しくしている。

「行くから!」ということだから、「もう着く頃か、着かないのか、予定変更してしまったのか」。 この日の東京は、玉由から電話があった頃より雪が降りはじめ、どんどん降り続け、一日降っていて家に帰れなくなるといけないから早目に会社を閉めたくらい。「この雪で飛行機が飛べない」「キャンセルが相次ぐ」。そんなニュースの日だった。「日本へ向う」といった玉由からは何の音沙汰もない。

夜中の電話を思い返してみると「トリノオリンピックへ行く日本のスノーボードの選手を追って映画を撮っている」「日本での幾場面を撮影のために来るのだ、と」「映画を撮っているなんて知らなかったな…」「カメラマンおよびスタッフを連れて来るのだという」「日本に来ても、スタッフ達と同じホテルに宿るということ」「目をパチクリするようなことばかりを口速に言われ」だけど「何航空で来ること」やら、「何ホテルに宿る」やら…肝心なことは聞かなかった。

何を、どう思ってみても仕方がないからこちら側からの思いはあきらめた。

「もう着くかな」と思ってから三日目が過ぎる頃、「今日で撮影は終った。これからスタッフと食事にゆくから一緒にしない?」「私は、接客食事の約束があるから無理。それぞれ勝手にしょう」「明日、ニューヨークに帰るから」「え!一度も逢わないで!まあ仕方がないよね」そんな電話があり、今は日本に居る、ということは分かった。

私は、食事にゆくべく、夕方の雑踏の渋谷を歩いていた。「なんだか玉由みたい」「玉由」呼んでみた。振り返ったのは、本物の玉由だった。スタッフと一緒だった。「本当に偶然なんてことあるのだ」「一瞬でも会えてよかった」。

次の日、「撮影終って、スタッフは帰るけれど、玉由は一日延ばすね。一日一緒にいよう」。

話したいことはいっぱいあるし、物を造る、プロデュースすることを選んだのだから、日本にせっかく来たのだから、どうしても連れてゆきたい所がある。

私の家から十分程でゆかれる上野。不忍池には渡り鳥がにぎやかだこと。この池の夏の蓮はすごい。徳川二代将軍による寛永寺の境内で今寒ぼたんが咲いている。動物園は動物達のスケッチに最適。ロダンの「考える人」「地獄門」すごいものが、いつも通る所に、あたりまえみたいに存在する。コンサートにゆく文化会館。宇宙と生命と、生きた物、生きる物の四十億年ほどが上手に理解できる国立科学博物館。幾度もの災害でこわれてしまった大佛様の大きなお顔だけ残る小高い丘。落語の鈴本演芸場。あちこち訪ねた後、一休みするところ、食事をするところ、私のとって置きが幾つも用意出来ている。まだまだ興味の先は尽きないけれど、今回は時間がない故、玉由を特別連れてゆきたい東京国立博物館へ。外国で生れたけれど私の子供、日本人なんだから、日本の国宝と残される品々を是非。一作品毎の驚きは続き、円山応挙の巻物鳥尽しスケッチの前。二人で動けなくなった。

 
 

 


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