ことのはスケッチ (354)
『歌と歌と』

大岡山商店街に、オフィス兼店舗を構えてから、商店街人達、まわりの人達・・・に支えられ・・・、商店街の集まりがあり、集まりの後は、歌を歌いに行こう・・・との次第。

もちろん、私は人前で「歌」を歌ったことがない。あ!一度だけある。
小学校の学芸会で、歌人の父と母の子供ということから、万葉集に載っている古里の和歌を、担任の先生がオルガンで弾き、私がひとりで歌った。
「引く―馬野―に――にほ――榛――原―――入り―乱――り―衣―にほはせ―――旅―の―――――しる―しに――」。
この経験で人前でうたを歌うということは「自分のすることではない」、とインプットしてしまった。
それから今まで、決して歌わなかった。美術を選択したし、一生を通じて忙しかったし、「歌う」という暇?はなかった。

友人たちには、「歌わない人」と、容認されていたけれど、商店街の集まりでは、私だけが「歌わない」、しらけるようなことをしてはいけなかった。困り果てていた。
ひょんなことから、美空ひばりさん、春日八郎さんの弟子、吉幾三さん、橋幸夫さん・・・方々と歌っておられたプロの歌手とであった。
歌を教えてくださることになった。
長い間、外国に居たから、その間の日本の歌を聴いたことがない。「何を、どんな歌を・・・」との問いに、何も浮かばない、ただわからない。
先生は、演歌の歌手だから演歌を教わろう・・・。個人レッスンが始まった・・・。
自分は普通の声と思っていたのに、「蚊が鳴く」程にも声が出ない・・・。大変なことになった・・・。歌わなければならない日付は近づいてくる・・・。

仕事後、せっせと先生のところへ通った。一時間のレッスン中、先生は、ずっとずっと歌い続けてくださるのだった。私は、先生に従って歌おうとする。
少し慣れると、自分の範囲ではない歌詞に抵抗があったり、どうしても出せない音域、音質があることを知り、息が続かないなんてことももちろんあり。
先生は、私を諦めないで、励ましてくださって。・・・。
一曲、二曲、とレッスンは進み、商店街の集まりの日がきた。いつも歌っているみたいな顔をして、歌ってしまった日。

こんなに大きく、日本のことについて、自分に欠けていた部分があったことを思い知るのだった。

先生の範囲のイベント、年中行事があるそうだ。
そのイベントに私も出してくださるということになり、平気でその気になっていたら、それは大きなステージのある劇場での出来事だった。
緞帳が上がり下りし、膨大な照明装置、全景は、映像として写されてゆく、プロの司会者が、絶妙なひとことを言い。・・・。
立ち往生したらどうしよう・・・と思う間もなく、どんどん進行し、進行に追われ、私の番がきてしまった。
曲が流れ・・・おおきな劇場だから・・・私の人生最大の声で歌ってしまった。

歌の先生と出会えて、丁度一年が過ぎていた。

 
 

 


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