ことのはスケッチ(372) 2009年(平成21年)12月 

『BEYONCE・ビヨンセ』

 古い家柄の長男だった祖父。没落してしまった「家」を再興するべく、幼少より医家の書生として、勉強に仕事に明け暮れ,そして医師となる。今泉医院の始まり。
 『赤ひげ』のような診療を続け、戦争があり、私の父に家督を譲り、医師をリタイアした。
 そして、父母が忙しい時期、今泉医院の子供として思い出すことの全ては、祖父母との種々だった。
 祖父は、屋敷の裏庭に本格的な、季節季節の野菜が何でも育っているような畠に勤しみ、種まきから、収穫まで、私は、祖父の後に従って「こうすると、こうなる」ことを教わった。
 庭には、花々が咲き、年中行事は、しっかり実行され、仕来たり、ならわし、丁寧に教わった。そうだ、祖父は花火造りが得意だった。テーブルの上で打ち上げると、天井から、小さな落下傘が降りてきた。
 こんな祖父が、小学校低学年の頃の私に、火鉢で“酒かす”を焼き、醤油をつけながら「本当は、野口英世のように、外国へ行って基礎医学の研究をしたかった」と話した。
 家を興すこと、家を守ること、しなければならなかったから…叶わなかったこと…。「祖父の夢を、私が叶えてあげる」と思ったことを思い起す。
 世界の織物、染物に関わる人になろうと潜在にあった私の外国行だったけれど…。
 自分の“家”をはじめることに追われ、ただ外国へ行っただけ、みたいな状態になってしまった。
 外国で生れ、育ち、学び、自身の生計をたてている、祖父母のひ孫、父母の孫、私の玉由が大きな大きな外国を、日本に持ってきました。
 マイケル・ジャクソンに次ぐ大きな名前となった歌手。女優、シンガーソングライター、プロデュース……『ビヨンセ』を連れてきたのです。
 ビヨンセのコンサート当日、埼玉スーパーアリーナ、とても大きな会場、「さいたま新都心」駅に下りたっと、大勢の人人が、アリーナへ向かっています。こんなに沢山の人々を引き付けるイベントだったこと、私はその時まで知らなかった。
 玉由が関わったことに、こんなに沢山の人が集まって来てくれていることに、どっと涙がでた。
 満席の会場で「最もホットな女性、ビヨンセの鍛えあげられた容姿、動き、歌声…」こんなにも輝やき、オーラを発する人を。
 身体はビヨンセに靡き、鼓動はビヨンセに打ち…やっぱり涙がとまらない。

 
 

 


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