ことのはスケッチ(380) 2010年(平成22年)8月

『FIFA』

 「東京の人口が減ってしまった!」と感じるほど…町の様子が異なっていた。きっと、日本中、同じ状態だったのでしょう。
 サッカーの世界選手権。人々は「テレビ」に集中していた。南アフリカまで行ってしまった人も何人か知っている。
 極端な夜中であるのにかかわらず、『一つのボールをめぐり、走る!守る!反則をする!力!美!団結!物理!…』と騒いでいた時、一九七八年、今から三十二年前、アルゼンチンに住んでいた時もこんなことがあった、と甦った。その時書いたものを。

思いたってアルゼンチンに移り住み、十二回目の冬の最中です。
 黄土色豊かに流れるラ・プラタ河からの湿度に満ち満ちたブェノス・アイレスの七月。
 碁盤割りの町並、それぞれの道の両側には大きな歩道があり、それぞれの並木が植えられ、子供達が三輪車で遊ぶ、買物がてらの人達が立ち話をする、駆け足のときも、子供の手をひいている時も、涙がちの日も、その時々の並木と共に、四季が巡ってゆくのです。
 地震も台風もない大地にめぐまれた、自信に満ちた楽天性。ヨーロッパ文化からきている道徳、生活用式、人間を苦しめることがない穏やかなブェノス・アイレス。
 第十一回のサッカー世界選手権、アルゼンチンの初めての勝利。国中の人が、もれなく何十センチか、跳び上った感じです。
 勝利の瞬間、全部の教会の鐘が鳴り渡ったのを皮切りに、車の警笛、鍋をたたく音、とにかく大きな音をたて、ラテン系のリズミカルな身体に、勝利のエネルギーを内に秘められなく、老も若きもは当然のこと、今にも赤ちゃんが生まれそうな人も、歩けない赤ん坊はベビーカーに、国家総動員法が発令されたみたい、家の外へ、目抜き通りへと繰り出し、恥も外聞も衒もなく、勝利を叫び、歩き踊り、泣く。
 私も、アルゼンチン国籍を持つ娘と共に、熱気の町に出てみた。
 アルゼンチン国旗にくるまって泣きながら歩く「お年寄り」、を見て貰い泣いた。
 毎日、キロの単位で牛肉を食べる頑丈な身体から「アルヘンティナ!アルヘンティナ!」を叫んでいる若者たちを見て、また涙を零した。
 私のは、直接サッカーのことではなく、この出来事に、これほど集中できる人たちを見ての感激なのだけれど、とにかく涙を流しこの騒ぎの中にいた。
七歳の娘も、「涙がこぼれないように上を向いているんだよ」という。
 底抜けに単純に国の色の空色と白色の縞模様になりきって、こんなにも、身も心も喜びに浸りきってしまう人達が羨ましかった。

 
 

 


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