ことのはスケッチ (295) 2003年7月

大菩薩峠

 

幼かった頃、遠足、運動会などすぐ手が洗えない状況になる時、母は小さな丸い缶にアルコール綿をいれて持たせてくれた。おむすびを食べる前に、アルコール綿で手を拭くと、綿は真黒くなった。
そんな風に育ったから、自身がきれいに保てる所に居たい。水の無い所には行かない。虫が居る所にも行かない。動物から病気がうつることを常に聞かされていたから、鳩が群れている所にも近付きたくはない。アルゼンチンにまでも行って暮らしてきたとはいえ、行動範囲がきわめて狭い。

この頃、携帯除菌グッズもあり、携帯していれば虫が寄ってこない新兵器も開発され、山は遠くから眺める、決して自分が近寄れる所ではない、との思いもほぐれてくる

「高い処で、ビールの泡はどうなんだろう」とおもいたって富士山の五合目まで試しに行ったときは、「なんだ、平地と同じ」という結果だったけれど、同種の草々にもかかわらず、登るに従って丈が低くなってゆくことを実感した。木々の種類についても、高度が大きく影響するのが見えた。
そして、富士山五合目の山肌が、遠くからでは見ること感じることの出来ない臨場感で押し寄せた。近寄って見る。近寄って感じる。出来るだけ近寄ってスケッチする。近寄ることの面白さを知る。

以前、中央線に乗っていて、思いもかけず大菩薩峠が見えたことがあった。その時以来、ずっと気になっていた。
スケッチをしたい仲間があり、望みは叶ことになった。折角行くのなら、中里介山の「大菩薩峠」を読まなければみっともない。
世界一長編の小説は、本屋の棚にずらり二十冊並んでいた。とても全部は読めない、せめて雰囲気だけでも。一番始めの、物語の発端あたりでスケッチの日になってしまった。

 

江戸と甲州との行き来の甲州街道。なぜ、2千メートルちかいところが、街道だったのだろうか。

この小説の舞台になっている沢井村、大菩薩を源流とする多摩川に添い、東京都の地酒の造り酒屋澤ノ井がある。外国のお客様を案内したり、スケッチに出かけたり、その都度の利き酒、日本酒の造られる次第、多摩川の景観、大切な場所にしている。
沢井から程近い御岳山にも、ロープウエイに頼るのだけれど、登る。

「大菩薩峠」に登場する芝、上野、御徒町...常の私の行動範囲。実在人物、直心陰流の島田虎之助は、私の家の隣の王子権現の境内で、毎日夕方から夜明けまで、夜稽古をしていたという。時代を隔て、私の現在に重なるドラマ、一歩一歩物思う。

東京より車で二時間半ほど、大菩薩嶺(2517メートル)と、大菩薩峠(1955メートル)を結ぶ稜線が見える地点、砥山峠(1600メートルほど)のハウチワカエデの新葉の木陰よりスケッチ。描きゆく山の姿の、ここは針葉樹、あちらは唐松林、平地に見えるのは笹原。
コメツガ、タケカンバ、ブナ...若葉を透かし、物語、歴史、地形、生態系、東京の水の源に来ている事...ロッジ長兵衛で戴いた、はしばみの実を食べたりしつつ、思いを馳せる。

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