ことのはスケッチ(309) 2004年9月

カモミール・ティ

アルゼンチンでの生活で、掃除をしてくれる人、食事のことの人、運転を受け持つ人、・・・職種は分担され、境界はしっかり守られるのであり、そのことを興味深く思っていたら、私の赤ちゃんが生まれ、子守りをする人もやってきた。
アルゼンチンに辿り着いてしまい、言葉も、何もかもわからなかつたけれど、描き溜めた図案の個展をしょうと、画廊探しをはじめて、出合えたのが、その昔アルゼンチンの大地を十何人かで分割、所有したという、その中に名を連ねる高名なファミリーのセリーナさん。
セリーナファミリーの子守りをしていたマルガリータが私のところへ来てくれることになった、という経緯。


アルゼンチンの上流階級をわきまえた、温厚な、大ベテランのマルガリータと、子育てに何の知識もなくただ日本風の本能に従う私と、爪を切り、アクセサリーを外したセリーナも日に何度も加わり子育て開始。
アルゼンチンで生まれたのだからこの国流に・・・とは思いつつも、ひとときだって目を放したくはない私の赤ちゃんを、何とかかんとか、何の時間とか、どうとかしなければ、とか言って連れていってしまう。
私流が守られ、マルガリータ流もとどこおりない方法を模索し、そして、外国で日本の赤ちゃんが育つこととなる。


授乳時間でもなく赤ちゃんが泣きだすと、マルガリータは、マグカップに小さな花や葉っぱが浮いている"マンサニージャ"に蜂蜜を入れ、人肌に冷まし、小匙で小さな口にはこぶのだった。アルゼンチンの子守唄や、民話など話し掛けながら、あかちゃんを誉めちぎり、「変なもの飲ませないで」とハラハラする私をよそに、赤ちゃんは穏やかに眠りはじめるのだった。

 
 

自然の存在である人間が、自然に助けられる様子を、マルガリータがいとも自然に教えてくれた。野菜の皮や果物の皮の大切さも、彼女から教わった。
スペイン語で"マンサニージャ"とは小さなリンゴの意味であり、日本では"カモミール"とか"カモマイル"と薬効を利用されてきた。


後、子供達に読んで聞かせた「ピーターラビットのおはなし」に、お腹をこわしたピーターラビットに、お母さんラビットが、カモミール・ティを飲ませてあげる記述があり、私の赤ちゃんみたいに、ピーターラビットも安らかに眠りについたのだろう、子供達と共々"ホッ"とするのでした。


あのころの赤ちゃんの安らぎを求め、今もよくカモミール・ティを飲む。カモミール・ティだけでのむ。蜂蜜だけたべてみる。どちらもそれぞれに美味しいと思う。けれど、この二つを一緒にすると、やさしい美味しさが、安らぎの香りを放ち、身に心に沁みる。


小さなマルガリータのような可憐な花をさかせるカモミールは、踏まれるほど強く育つという。病害虫に弱った植物のそばにカモミールを植えると「植物のお医者さん」となって、弱った植物が元気になるという。
人間の歴史が地球のうえの有りがたいハーブを探しだしていてくれて、このごろ様々なハーブとも共存して、心が欲する時、身体が求める時、共に飲みたいと思う時、やさしくなりたい時、そんなときひと匙の蜂蜜と共に。

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