ことのはスケッチ(300) 2003年12月

男体山 瑞牆山

 

ゆく先々の木々草々に季節が移り、今は秋、充分に秋に浸っていると満足し、名所などへ「紅葉狩り」とは思ってもみなかった。大変な人出だろうこと。美し過ぎるのではないかとの気後れも。
このところ考え方が少しかわった。出掛けて行かれるエネルギーが有るうちに。暑くなく、寒くなく、この時期スケッチに出掛けなければ勿体無いとも。


多摩川上流では、杉群の濃い緑のなかに、かすかに紅葉はじめる木々の気配をスケッチし、気象状況上、男体山があるべき景色が描けないままになっていた奥日光の戦場ヶ原は、湯の湖までハイキング方々。
戦場ヶ原は、標高千四百メートルの高層湿原。高度差がなく、私のいつものウォーキングコース、銀座から日本橋にいたるストリートと大差ない。ただ湿原の板の歩道は、踏み外さないよう、前後の迷惑にならないよう、景色や湿原植物に道草したいのがままならないけれど、なんと気持ちの良い空気。
途中、唐松林の中に位置を得て、男体山に近く向かう。今から千二百年前、勝道上人が自然への信仰であっても、自然に阻まれる苦難の末初登頂をされた男体山。
空も地上も唐松の黄金色、そしてなお散り続ける黄葉に埋もれゆきつつ、ひと筆ひと筆、勝道上人を偲んでスケッチした。

 

紅葉の季に益々欲張りになり、瑞牆山へも行くことにする。神々しくも由緒ありそうな瑞牆山という名前。きっと万葉の歌となって残っているにちがいない。


 巻四 柿本朝臣人麻呂の歌(五○一)
○未通女等が袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき吾は
 巻十一 物に寄せて思を陳ぶ(二四一五)
○處女らを袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり吾は
 巻十三 (三二六二)
○瑞垣の久しき時ゆ戀すればわが帯ゆるぶ朝夕ごとに
 かき (垣・牆) 国語辞典(旺文社) 瑞垣 瑞牆「同じ」と思うことにする。


中央道、須玉ICより韮崎、塩川に沿い山の方へ。古よりの暮らしを無くしたであろう塩川ダム、増富ラジウム鉱泉郷、温泉に入ることなく通り過ぎ、大きな莢の豆の産地を通り、落葉してしまった白樺林、今を黄金色の唐松林。そして、やっと瑞牆山の岩峰が見えた。
出掛けに、「登るのは無理だよ」といわれたことが納得。
瑞牆山に近く近く、畏れおおくも、今上天皇の御製歌の碑と並び、スケッチをすることになるのでした。


 

今上天皇御製歌
○ 切り立ちし瑞牆山のふもと来ていろはかへでの苗を植ゑけり

スケッチをするには、山の姿をよくよくみつめる。そして、その山の成り立ち、纏わる歴史、植物環境・・・いろいろなことを思いながら、万葉人にも思いを馳せ、歴代天皇の御製歌を思い・・・自らの絵に歌に、すぐこんな雰囲気が現れるわけではないけれど、瑞牆山に浸った。

 
   

 


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