ことのはスケッチ (347)

『おもてなし』

アルゼンチンで暮らしていた頃、週に一日「おもてなしをする日」を決めていた。午後五時ごろよりの「お茶の時間」という習慣に。
アルゼンチンについて何も知っていることがない、スペイン語で何も話せなくて、アルゼンチン中の誰一人として知っている人はいなかった。
それでも住みはじめてしまった私を、アルゼンチンへと導いてくださった方達を、出会えた方々を、家にお招きすることを思い付いたのだった。

話題が合いそうな人どうし、仲良しになって欲しいどうし・・・、招待客選びからはじめ、テーブルデコレーションに気を配り、アルゼンチンの美味しいお菓子を探し、日本風は自分で工夫して作るよりほかなく、日本から届いた羊羹などある時は良いのだけれど。その頃、料理をしてくれていたパラグヮイのお手伝いさんのローカル豊かなおやつも加わったりして。

その頃には、わたしでもスペイン語で冗談を言えるようになっていて、うまく皆と笑いあい、話は弾み、ギターやケーナをもちだして、フォルクローレなど踊ってしまったり・・・。
お茶の会はそのままコぺティン(食前酒)になってしまうのが常だった。
日本に帰ってきてからは、日本に紛れ、あんな暮らし方をしていたことを忘れ果てていた。

セイロン島、UVA地方に自家茶園を経営され、無農薬、無公害、手摘み、昔ながらの紅茶を作っておられ、スリランカの恵まれない子供達の学校教育など、いつくしみをおしまない吉川のり子さんが、奥志賀高原のホテルで「皇太子様をおもてなしするほどの会」を計画された。
私の「はちみつ」と「南極近い野に咲くバラの果実のジャム」も「おもてなし」に参加させていただくことになった。「日本最高位のおもてなし」へ、私も。

年中行事「五節句」の中の「重陽の節句」。満ち極まった陽の数「9」、天の数と神聖視される「9」、が重なる「重陽」、「9月9日」の日付に「おもてなし」の日を定めたことが、まずおもてなしはじめ。
おもてなし研究家の上原麻左美氏がプロデュースする、この日15人ほど宿泊するホテル、グランフェニックス奥志賀は、目も舌も唇も鼻も耳も麗しく満たされてゆく。普段の日ばかりだったこの頃が嘘のよう、はれやかな晴れの日に。
皇太子様のビオラの先生、兎束俊之氏のモーツァルトが、バッハが、童謡が・・・、
「おもてなし」の美しい音色はエコロジーな高原の夜に透き徹る。

京都から、大徳寺別院、徳禅寺住職の橘宗義師が来られた。
「眼にみえるものは、出会えたものは、全てが愛ですよ」「自身が一番して欲しいことを、してさしあげることがおもてなしですよ」諭してくださる。

「おもてなし」をする側にいるはずだったのに、いつの間にか素晴らしい「おもてなし」をいただいていた奥志賀での私の宝の三日間。大切にしてゆこう。

 
 

 


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