アルゼンチンつれづれ(32) 1981年06月号

ロレナ

 落葉もごみも巻き上げる風の中、晴天の日見上げる南十字星、目元を潤ませながら「神様」という言葉ばかり思って過ごした四十五日間。
 二番目の娘、由野が三歳で幼稚園に入った時から、現在に至るまで、常に手をつなぎ合ってきた仲、色白で淡い青色の目のロレナの病気。
 冬の日本から帰ったばかりの由野と、暑い夏休みを過したロレナが、新学期第一日目を磁石の作用のように、ぴったりとくっついて学校へ行ったその日の午後、ロレナが盲腸炎で手術をしたと聞いた。「かわいそうだけれど一週間もすれば」と思う頭に「手術後熱が下らない」の一言がとても気になっていた。 数日後、泣きながらのロレナのお母さんからの電話に動転、「調子が悪く、再手術をして、今無菌室に入っている」
その後も手術をくり返し、一ヶ月ちょっとの間に、四回も手術をしたと、由野と同じ年令の子供に、何が起ってしまったのか、私達は理解も出来ないまま、どんな慰めの言葉を言ってみたってしようがないから、ただロレナを思いました。
 由野と一緒に宿題をするという口実で遊びに来ては、レバーペーストを山盛り付けたクラッカーを「ユリ、キエロ、マス」と次から次へとおねだりしたロレナ。バレーのレッスンも同じ所、一緒に優等生の金メダルをいただいた仲、あまりにも身近なロレナヘの出来事に、私達一家も一緒に力つきてしまいそうな思いでした。
 「喧嘩したことあるけれど、あれは仲良しだからなんだよ。」「癒ったら、学校を休んでいる間の勉強をみてあげるよ」・LORENA・YUNO・LORENA・YUNO……と紙いっぱいに、それだけがくり返し書かれた手紙を泣きながら書いた由野。
 私は、ロレナはもちろん、多くの友達を持って欲しいと思うのですが、ロレナのお母さんは「由野とうちの子は、もう離れられないのだから」と決めて安心しきっています。この発想は、アルゼンチンでは、恋人同志、友達同志の仲に、よく聞く言葉です。
 「身近な人に逢って、ロレナが生きたいという気持を持つように逢いにきて」というロレナのお母さんからの電話に、細くやつれたロレナに逢って涙を流さないようにしなくてはと自分に言いきかせつつ、子供は誰も無料で診療してもらえる最高の設備と高い技術のお医者さんのそろっている、子供が見舞うことを許さない、国立子供病院へ行きました。 私の子供達が健康に力強く生きていることのみに過してきて、ここ病院は、長い行列が出来る程の病気の子供を連れた人々。混雑。 その病気の子供達を縫って、ますます重い気持ちになりながら、ロレナの病室へ入り、驚きました。透徹るように白い肌をして、にっこりとしたロレナ母子は、神々しかった。全然やつれてなんかいない。豊富な肉食で育っている人間の底力。
 私は何もしてあげられない日々を過したのみでしたけれど、民族の違いを越えて、もっとも親しい人達を憂いました。
 身も心も痛く、辛く、焦り、何故我子にこんなに……とすべてに打勝って、しっかりと命を離さなかったロレナのお母さん。もう命に別状はなさそうです。
 「神様って本当にいるのだね、一生懸命ロレナが死にませんように、癒りますようにってお願いをしたら叶えて下さった」由野と玉由の同時の言葉でした。私も。

 
 

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