アルゼンチンつれづれ(125) 1989年04月号

スペインからイギリスへ

 ちょっと前、ここマドリッドに旅した時は持ち合わせているスペインというイメージのままほのぼのと過せたのに、今回、ガラりと変ってしまったのに戸惑う。
 子供達の背丈が伸び、目の位置が変った故か、日本、アメリカでの生活経験の故か…。 とにかく、日本の人が、日本円の価値に驕り、他国の事情を考えず大挙して外国旅行をするに至って、原地の観光に携わる人々が変ってしまった。私達も、日本人の姿だから、何とか日本人からお金を騙し取ろうとする人々に否応なく接してしまい、(言葉にも、習慣にも困らない私達には、あまりにはっきりその様子が見え)非常に気分を害されるのです。
 そのことを踏まえ、スペインの売物である闘牛についても、いくら食べてしまう程の動物であるとはいえ、怒り、苦しみ、死んでゆくのを見せ物にするなんて、伝統だ技術だ、と言ってみても私には駄目。もう一つの売物フラメンコも、床を蹴っ飛ばし、不平不満を喚き散らすこんな下品なのもいや。その上食事の習慣も、粗末な物を控え目に、その物の味で、という此の頃の我家流とはえらい違いでーしてみると可成り相性の悪い国ということになる。何を今さら、逆時代的な所へ、これからの子供達を連れて引越すのなんて…駄目だ、と感じてしまった。
 どの国の、どんな所に住めるかな、住んでみたら子供達の将来の役にたつかな、というのが今回の旅の目的だった。
 「イギリスに行ってみようよ。」
 スペインの旅行社でロンドン行切符子供達と私三人分を買った。スペインの飛行機に乗り、ロンドンに着いて気付くと、スペイン人が集められた観光バスに私達も乗せられており、スペイン語でロンドンを案内され、スペイン人の目となってロンドンを見るということになってしまっていたのです。
 イギリスからアメリカが出来…と世界の国々、世界の歴史への思いが駆け巡るのがロンドン。私事にしても、子供達の父親の祖父(勅任官御用牧場の場長坂常三郎)が、昭和天皇の皇太子だった時の皇太子白馬を、はるばる船に乗って、ここロンドンにまで探しにいらした…というロマンに思い当る。「ひょっとしたらここにも…。」と王室の馬を司どる立派な馬場に来て思う。
 その頃、日本とは反対側の国アルゼンチンから、セリーナの母となる前のセリーナ・ぺラルタラモスさん(アルゼンチンの大富豪)が、自分の牧場の牛を船に積んで、搾りたての牛乳を飲みつつパリ留学への船旅をし、もちろんロンドンにも立ち寄り、ヨーロッパ社交界の華となるべく。
あんなこと、こんなこと話しながら、今やっとロンドンヘやってきた私達は、スペインの目とは離れ、自らの足で噛み締めるごとく歩いた歩いた。エネルギーの残る限り。
子供達の感想は、「今まで見た国の中で一番素敵」「きれいな英語」「多くの人種が混ってるから楽」「今度アメリカヘ帰ったら、イギリスで勉強するべき仕度をするよ」驚いた。まったく予期していなかったロンドンにのめったのですから。
「仕事の場がスペインでも、ヨーロッパはどこへ行くのも近いから、好きな所へ行けばいいわ」といいつつ、狭い所の陸続きなのにこうも正確に言葉が違い、人種、習慣、使用している通貨がちがい…ヨーロッパ人って、決して物事をウヤムヤにしてしまわない頑固者なんだ、と思うに到った。戦いの歴史の縄張りの後遺症かな。

 
 

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