アルゼンチンつれづれ(181) 1993年12月号

日本で寝る

 畳の部屋に朝の陽が入ってきて、大きな日向が出来た。素足になると、畳のほのかな温もり。“何て気持がいいんでしょう”。こんな良い気持を放っておいたらもったいない。さっそく出来るだけの薄着になって、日本の秋の太陽のもと、“ああ、やっと日本に住んでいる”。
 由野がポソッと「急に無理遺り独立させられちゃって!」などとぼやいていたけれど、大急ぎで我が家の皆に独立をしてもらって、やっぱり私、日本でこんな風にしていたかったんだ。自分の日光浴に、まだまだ日向のスペースは沢山残っていたから、枕や子供達から預かっている縫いぐるみ等、あれこれ広げつつ巷の様子を窺うと、どこの家も蒲団を干している。“そうだ、私もベランダの棚に蒲団を干そう”。
 今まで住んできた外国では、夜具を陽に干すということをしなかった。家の中は冷暖房で一年中同じ温度に保たれるようになっており、寒い季節だから夜具を多くするとか、厚い蒲団にするということはなかった。毛布一枚程度を上下シーツにくるむようにして、シーツだけはせっせと取り替える。起きれば、ただちにべッドを整え、そしてベッドカバーで覆ってしまう。
 あの国、この国、あのベッド、このベッド。三十年以上も、とにかくベッドの生活をしてきて、今畳に寝るようになって、ちょっと畳の方に手や足を伸ばしてみる、などという楽しさはあるけれど、ひとところ張りつめている神経があるらしく、すぐ目を覚ます癖になり、背骨がいつもいつも意識下にあって、とにかくうまく眠れなかった。
 ところが、ベランダに干した蒲団で寝た夜は、何もかも無となって、満ち足りた朝が来た。太陽ってすごい。
 以前、アルゼンチンのセリーナが“ユリの日本”を観るためにやってきた時は、寝るも食べるも…ずっと一緒にいた。
 彼女は、寝るにあたって、赤ちゃんだった時からのではないか、と思われる小さな古ぼけた枕をスーツケースから取り出した。枕カバーにはキチンとアイロンが掛かっていたけれど、他人にはみすぼらしく見えた。
 どんな立派なホテルや旅館へ行っても、用意されている枕の上に、チョコンと“セリーナの枕”を乗せた。彼女が眠るには、それが必要だった。
 一ヵ所に続けて泊まった時など、“セリーナの枕”を仕舞わないで出かけると、枕は必ず姿を消してしまい、私はフロントやルーム係に電話を掛けまくり、あげくにはゴミ捨て場にまでも捜しにゆくはめになったりした。 そういえば、私だって船に乗ってアルゼンチンヘ出かけて行った時、小さい頃からの使い慣れた枕を後生大事に抱えていた。仕事での旅が多くなり、「もう大きくなったんだから」と枕を持ち歩くのをあきらめた日があったのだけれど……。
 アルゼンチンで生まれ育っていった私の子供達は、寝る時に本を読んでもらう習慣になっていた。日本のこと、昔話……是非子供達に知ってほしいと思うことは、子供達の夢うつつの耳に、私の本を読む声だった。
私の外出や来客で一緒出来ない時は、子守りのマルガリータに、スペイン語のこと、パラグアイの忘れられてゆく民話、ワラニー語でのいろいろ。私の知らないことを話してもらっていた。
 日本に来て、日本式に上手に寝られなくて、眠るということに目覚めてしまった。

 
 

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