アルゼンチンつれづれ(183) 1994年02月号

日本にもどって

 今までの子供達と私の生活に馴染んでいた物や、台所用品などの現在使用中のものは、玉由のロサンゼルスでの生活に残してきた。 これからの由野の生活に使えぱ良いというものも、“由野の物”と印して残してきた。 結局、奥の方に仕舞い込んでしまってもほとんど差し障りのないような“飾り”の部分のものを、アルゼンチンからとロサンゼルスから持ち帰って、東京で私の生活をしようというわけなのだけれど、それぞれが飾りの場所に収まり、さて“生活”ということになると、ほとんど必要な物を持ち合わせてない、ということに気付かざるを得ない。
何をしようと思いたっても“まず無い”ということが先だつ。買いにゆくべきか、行動を中止してしまうのか。
あれも要る、これも要る、どこそこで宣伝していた……なんて手あたり次第に集めてゆけば、たちまち私の小さなスペースは埋まってしまうだろう。
せっかくわがままな生活をしようというのだから、とことんわがままになって、自分好みのものだけ、少しずつそろえてゆけばいい。
冷蔵庫や洗濯機、電気釜は、一番始めの部分で、何思うことなく我が家に収まった。
 「茶碗蒸し作ろうかな」と思うと、茶碗は抹茶茶碗でも何でも代用出来るけれど、蒸すのが困る。饅頭や焼売にも、卵豆腐作るのにも、それに何かをゆでるための大きめの鍋もないから、やはり蒸し器は買おうと決める。俎板も要るかな! 要らないかな! アルゼンチンの主婦はあまり俎板を使わない。アルゼンチンで食べる物を作り始めた私は、見よう見まねで、じゃがいもなど、直接鍋の上の空中で切って、そのまま鍋に入れ……煮えてゆく。
 薬味の葱などはハサミで切ってしまうし、今までのところ複雑な物を作らないから、まだ俎板はない。
 こんなに自分の家に入れる物のことについて一生懸命考えているのに、引出物とか香典返しとかいう物が、どかどかと入り込んでくる。
 人のことを考えないで、人の家に勝手なものを送り込むこのシステムは本当に好きではない。使わないとか、仕舞い込むとかいう方法もあるだろうけれど、とにかく何もない生活をしているのだから、つい使い始める。お祝いの方はまだいいとしても、この毛布は誰かさんの亡くなった時、こっちのシーツは誰かさん……と、蒲団を敷くたびに思わなければならないのも因果なことた。
 “亡くなる”といえば、母が亡くなった後に、母のものはそのまま、本当にそのまま残った。仕付けのままの着物もあった。このことは、私にとってとてつもなく大きな出来事で、私も死ぬと、今、私が使っているものをそのままにしてゆく。
 今までだって、飛行機に乗るたびに、車に乗って外出する時ですら、もうここに戻らないかもしれない、と心してきたつもりだったけれど、人間は本当に死ぬということを母に教わった。
 アルゼンチンから引越すにあたって、自分の持物を全部チェックした時、習い描き、描きかけ、下手くそ……どんどん叩き割って、「ああ、生きて自分で始末出来てよかった」と心底思った。とても子供達にはさせられやしない。
 「ごはんを食べる」という発想があまりなく、「どんな肴で飲もうかな」という生活をしていると、やはり器が欲しくなる。少しずつ好きな器は増えるだろうけれど、「自分が残す物」について、たえず意識しはじめてしまった。

 
 

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