アルゼンチンつれづれ(188) 1994年07月号

アルゴリズム

 国立競技場のJリーグすなわちサッカーを見る機会に恵まれた。アルゼンチンでは、サッカーがとても盛んだけれど、私の知っている限りの女人がサッカー場へ出掛けて観戦という話は聞いたことがなかったし、もちろん私もそんなことは思いつきもしなかった。
 今東京で超満員、怒号の六万人の中の一人となった時の驚き、長い間、希少価値みたいな感覚で他国人にまぎれてきて、日本へ帰ると一億何干万人の中の一人にすぎなかったことは大きな戸惑いだったけれど、一億という数の人々を目の前にしたわけではないから、事ある毎に知ってゆくのであって、六万という数すらすごい。
 サッカー場とは、大きすぎて人間サイズではないような気がしたけれど、すぐに慣れておもしろくなってきた。それにしても、まわりは若い人達ばかり、私ではなくて、私の子供達の世界だった。うちの子達も日本に居たら、こんなことしているんだろうか!と由野のことを思っていた。
 『コンピューター以前のアルゴリズムという勉強をしているの、これはね、0と1だけの世界なんだよ、いかに無駄のない、エレガントなプログラムを作るか、という勉強よ、それから、日本のことを知らないといけないから、サムライカルチャーという授業を受けているの、サムライの精神分析とか、忠臣蔵のことがでてきて、ねえ、忠臣蔵のこと教えて』
 私は忠臣蔵のことを知らないから、そこはさっそくビデオを送った。
 『おもしろかったよ、友達集めて何度も見ている』といってきた。私はまだ忠臣蔵のことをよく知らないまま。何の役にもたってやれなくなっているな、と思う。
 国立競技場では、アルゼンチンやブラジルから来ている選手達が活躍していた。そしてすぐ、東京ドームの野球を観戦の一夕があった。
 ドームという所を知りたかったし、いつものテレビの野球の本物を見たかった。
 大きなドームのたまたま居る場所によって感想は異なるのだろうけど、私の席は三塁べースのすぐ近くだったから三塁手の様子がこと細かに見られた。デカイドームって思っていたより小さい気がして、その反面選手達が非常に大きく見え、特に松井選手はとびぬけて大きなひとだった。一番残念だったことは、夜風が吹いてきたり、東京後楽園辺りの夜景とか、見上げると月や星の夜ではなくて、ただズックぽいのがよろしくない。雨の降る日だけ天井を閉めて試合をするといいのに。 そして何にも増して驚いたことは、丁度玉由みたいな年令の女の子がまわりと同調するわけではなく、一人勝手にメガホンでひいき選手を呼び、騒ぎ、その間、オデンを食ベビールをガブ飲み、ビールの紙コップに口紅のあとをべったりつけて…あーこんな子嫁さんにしたくない、と思ったけれど、我家に嫁さんがくる心配はないことに気がついた。
アルゼンチンの帰り道に寄ったロサンゼルスの玉由は『猫の解剖の次は本当の人間の解剖をしなければいけないの。人間なんだから人間のことを知らないといけないと思ったんだけど、どうしてこんな授業を選んじゃったんだろう』と嘆いていた。『同じ授業を受けているのは、お医者さんになる人とか、もう実際に病院で働いていたり看護婦さんになろうとしている人なの、皆慣れていて、ケーキやクッキー作るのみたいな感覚で解剖しているよ』
 『どの筋を動かすと、どの筋肉が動く』という玉由の解剖じゃないけれど、野球選手の鍛えられた人間の動きを見ていた。

 
 

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