アルゼンチンつれづれ(191) 1994年10月号

玉由と由野の夏休み

 「まだ、一ヶ月も先のことなんだね」と話していた頃より「もう飛行機の予約は出来ているよ」「あと二週間、テストが終わったら日本だ」と、どんどん玉由と由野の思考は日本になってきて「日本に着いたら、まずおすしを食べたい、焼とりもいいな…」「お母さんの煮物もね」「日本では今、どんな服がはやっているのかな、どの洋服持ってゆこうか」「ああ、ホームシック!」電話やFAXでのことです。
 ホームシックといったって、日本にホームがあるわけでもなく、玉由も由野も私がどんな所でどんな生活をしているのかもしらないのに。でも私が日本に住みはじめてから、子供達の日本への比重がぐっと大きくなってきていることがわかる。
 アメリカ東海岸ボストンで学生の由野とは去年の夏休み以来、もう一年間逢っていない。一年の日々を、一人で食べ、一人の家で勉強し、「Aをもらった」と勉強の成果もあがっている様子。何てありがたいことだろう。 西海岸ロサンゼルスの学生玉由とは、つい最近南米の帰りに玉由の家に寄ってきたからまだ逢ったばかりだけれど、玉由が日本へ来るのは、二年振りとのこと。
子供達とひと言でも多く日本語を話すため、イロハかるた、格言、私の知る限りの日本を話し続けてきたけれど、食べ物を作ったり、着る物の手人れとか、すべての日常生活については子供達を参加させる時間がないような生活だった。いくら自分の子供といえども、まともでもない私を見習わせるという、そんなおこがましいことは出来なかったから、子供達がまだ一人で暮らせるという状況ではなかったのに…ある日突然、私の母親の部分がとぎれて「もうやめた」とひとり荷物をまとめて日本へ帰ってきてしまった。
 「無責任すぎたかな、いけなかったかな…」思わないわけではないけれど「今までさんざんしてきたんだからもういいよ、そんなにされては、こちらが心苦しいもの。あとはお母さん好きなようにしていてよ。玉由と由野の勉強したり、働いたりする目標になってくれればいいんだから」などと言ってくれる子供達に甘えてしまうことにした。
 それでも「何を食べているかな!なにを考えているのかな!」といつも思ふ。
 玉由は、私にまったく未知、踏み入れたことのない食物をたべているらしい。黒いお米とか、何とかファイバーとやら…。要するに地球食といえばいいんだろうか。この前、玉由の家へ行った時、私が日本から送った食料品には何一つ手がつけてなかった。彼女の思うことも、私からかけ雛れてしまっているのだろう。
 由野は 「ヒジキの煮方を教えて」とか「今ダシだけは取ったよ、これから先どうすればソーメンつゆになるの」とか、しばしばFAXを入れてくる。カンピョウまでボストンで煮ているらしい。
 離乳食に塩辛やキャビアを食べさせたり、「コカコーラはいけません」とワインのソーダ割りを飲ませていたし、私があれこれのお酒を飲むたびに「味を知っておきなさい」とひと口は味わわせてきた、という幼い頃よりの特訓のかいあって、玉由は、シャンパン、ワイン、カクテル系、由野は、熱燗でシシャモと日本酒党。二人とも私を越えての酒飲みになっているから、一緒に飲むのが待ち遠しいこと。
 「日本に帰る」とか「行く」とか微妙なニュアンスではあるけれど、それぞれのアメリカから二週間ばかりの夏休みを過ごしに玉由と由野がやってくる。保護者が私の様子を見にくるといった感じかな。(つづく)

 
 

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