アルゼンチンつれづれ(193) 1994年12月号

富士山五合目

 話題になる。新聞やテレビで知る。世はまさに旅。物見。遊山。行楽。
 “何々、家に閉じ籠っているのはほとんど罪悪なの”
 飛行機に乗るのはもういや。用事もないのに、ただ見るくらいのことで外国なんて行きたくない。日本に居るんだから、わざわざ見てまわらなくったって!とか何とか言いつつ東京の自分の部屋に籠り、カーテンに朝日がさしてきて。窓を開ければ金木犀の香る日。友達から「元気!」と電話が掛ってきて…。こんなのとても良くて。「まだ閉じ籠っているのに飽きないの」などと、なかば呆れられての一年が過ぎていった。
 富士山が見える日。見えない日。朝日にはどんなかな。夕日には。季節の移り変りは…。とにかく毎日気にしている富士山の五合目までゆくバスツアーがあるという電車の中吊りが気になっていた。気圧のことでビールの泡はどうなるか?味は?なんて疑問も急に加わり“行ってみよう”
 はじめのうちは、言われるままにしていれば良いツアーというのに“楽ちん楽ちん”と喜んでいたのにガイドのあまりにも下手な日本語がコチンコチンと突っ掛かり、黙っていてくれたらどんなに嬉しいか、と思いつつも行く道々の歴史、謂れ、産業…などちゃっかり聞き取って、たちまち俄物知りになるのだけれど。
 高さは、私の日常的ではないから、バスが登りにさしかかり、その所々の植物分布状態が見え、蛍袋など登るに従って背丈が低くなってゆき、五合目ではとうとうひと花ほどの丈にまで小さくなってしまった。驚く。
 自分の目と舌と全ての感覚で参加したひと時を加えた私の窓の富士山は、“あの時ビールがうまかった”“もう雪が積ったかな”…。毎日毎日心が踊る。
 ことある毎に、日本全国からのお酒を飲んでいる。「東京に住んでいるんだから東京のお酒が飲みたい」とわがまま言っていたら、ありました。東京奥多摩の地酒澤乃井は酒造りを見学かたがたその地の肴で飲む場所も用意されていると。
 ある日のお昼ご飯をめざして出かけた。東京駅から青梅線直通の中央線に乗っているだけ。電車に迫る風景に草木が多くなるといよいよ沢井駅。降りるとそこは澤乃井酒造。
 あちこち水が沁み出してきている。秩父古生層より涌きでる清水を口にふくむと、やさしい。これは良いお酒に出あえる予感が大きい。
 お酒と同じ清水で作られる豆腐、ゆば、目前を流れる多摩川よりの鮎や山女のでんがくなど。奥多摩のさやさや木々のもと、それはそれはおいしいお昼のお酒にたちまちほろ酔い。
 多摩川っぷちを歩いて寒山寺あり、もう少し川に沿うと玉堂美術館あり。
 そして、酔いもさめる頃には御岳山に登ってゆくケーブルカーやリフトを乗り継ぎ、ほんの少し歩いて頂上。見渡す限りの見晴し。 夜となる頃には、ちゃんと自宅に帰ってこられ、いただいてきたお酒の小瓶をポケットから出したりして。
 家を出てみても面白いことがあるものだ。つい先日も、気付いたらほとんど人影のない、まったく夢の中のような奥日光の戦場ヶ原を歩いていた。高山性の木々草々にはあまりなじみがないのだけれど、枯れ色や、わずかに残る面影を辿って、何なのだろう、かにだろう。もし、この草や花の最盛期に来たのなら、いったいどんな思いが出来たのだろうか。自分の家の外が気になりだした。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。