アルゼンチンつれづれ(228) 1997年11月号

日本に住む

 「外国の生活はもういや。日本に住む」と今までの生活を打ち捨てるように、遮二無二日本へ帰ってきてしまい、二年毎に住まいの契約を更新するという生活を始めた。
 私が日本を留守にしている間に、日本は大きく変わった。その大きな変化に『ボッ』としている間に二年間が過ぎ、引越しや住所変更や…。面倒だったからそのまま住み続けることにした。また、たちまち次の更新の時が来てしまった。
 子供達を育てるのに「良かれ」と思う引越しは大変なエネルギーが湧きだして、さっさと挙行したけれど、自分自身のことになってみると、引越しをするほどの動機を探し得なくて、「このままで良いことにするか」と思いがちだったけれど、せっかくやってきた日本なのに飽きていたらもったいないような…。
 友人達とお酒を飲んでいた時、「こんな話」をしてみたら。『自邸の庭に貸家が空いている』という話があり、私の更新の日が迫っていたから、次の日にはその家を見せていただく段取りとなった。
 引越すのなら東京下町と思っていて、時々は下町辺りを歩いてみたりはしていたけれど、どこにどう住んだものやら皆目見当がつけられなかったのに、縁あって、王子を下町というかどうかだけれど、物の本によると、江戸時代に栄えていたことが興味深いし、浅草、上野方面は手の内?となるかな。
 目的の王子の家は、露草や大蓼、ちぢみ笹、背の低い根笹類が一面の庭。イヌマキの実が丁度熟している時、モッコクの赤い実が玉なしてツヤツヤ光っている…。その同じ土から二階建ての家、私がこれから住むところ。 さっそく引越しの心配。狭いながらもストックしてあった幾つかのダンボールにあれこれ詰めてはみたけれど、増えまくってしまった私の物々は減るという変化もない。あきらめて引越しの専門家にお願いすることにした。「今のまま、何も動かさなくてもいいですよ」と見積りの人はやさしく言って帰っていった。引越し当日、立派な若者が五人やってきて、三時間程で北千束の家は空っぽになった。
 アルゼンチンにあった私の物と、ロサンゼルスの私の物と合わせて、トラック一台で北千束に来たのに、外には二台の大型トラックが止まっていた。
 二台のトラックを北千束で見送ると、大急ぎで大井町線と京浜東北線を乗りついで四十分程で王子に着いて、トラックの到着を待つという一人の引越し。
 二階建の下の部分に和室と納戸と洗面など水まわりがあり、長い間、和室とは無縁で暮らしてきたから和室用の物は何もなく、納戸は全部の本類とソファーを入れて、図書室と酒落る。台所、リビングルーム、寝室、書斎が二階にあり、トラック二台分のほとんどの物が二階にあがることになり、慣れた引越専門の人でなければどうにもならない。
 パソコン類が大げさ、勉強机や画材等で書斎が出来上り。子供達の留学といって高輪に住んだ時、物を入れるスペースがなく、やむなく求めたタンスと洋服ダンスが、アメリカヘ、また日本へと連れまわって、こうなるともう処分する訳にもゆかず寝室に納まった。台所もリビングも、今まで使っていた物を配しただけなのに、天井の高さ、窓からの景色、部屋の大きさ…が変って、何だか新しく出遭ったみたいに新鮮な気持ちがする。今度の家は付加価値の付く家。
 町が変り…、家が変り…、私も変ろう。

 
 

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