アルゼンチンつれづれ(229) 1997年12月号

王子へ引越し

 引越しの荷物がそれぞれの場所に落着くと、今度は新しい家を取り巻いている状況が気になった。
 千代田城かと思ってしまうような立派な石垣にそって坂を登ってゆくと私の家に着くのだから、その辺りで日常の物を買うことは出来そうな様子はない。一人で沢山は食べないとはいえ、幾許かは必要であり、八百屋を探して外に出てみると、聞き知ってはいた王子稲荷神社が驚く程近くにあった。近所に住み始めた“あいさつ”のお参りをして、宮司より、今から千年の昔、源頼義の信仰に始まり、関東稲荷の総司であること、江戸時代に入ると、徳川将軍家の祈願所と栄え、今日に至ることを知る。近くまでビルが迫ってきてはいるけれど、昔のままに狐が住んでいそうな雰囲気がある。
 社務所で、王子稲荷神社周辺の浮世絵を売っており、広重画など五十点あまりを全部もとめた。「今だかつて全部を買った人はいなかった」とあきれられたのだけれど、多少のフィクションはあるにしても、王子周辺の江戸や明治が、「こんな風に変ってきた」「昔はこうだったのだ」と。広重の「江戸名所百景の王子稲荷の社」などは、「私がその絵の中に立っている」と思うほど江戸が残っている。
 大晦日には日本全国の狐がここに集まって来るのだそうだ。是非見たい。
 稲荷神社の隣にも樹木が繁っている所があり、入って行くと、水が流れる音がする。水が落ちる響きがある。この都会に考えられないような大きな滝があった。
 江戸時代、王子の名主であった畑野孫八の庭園で、王子七滝といわれ、滝の多かったこの辺りの名残の唯一現存しているものだそうだ。夏には、螢が自然発生するほどの清さを残している公園。日々の散歩にスケッチに、夏の螢も楽しみだ。
 集めた浮世絵の中に、広重画の「江戸高名会亭蓋王子扇屋」があり、これまたほんの近くだったから、予約をして食事に行った。
 建物はビルに建て変っていたけれど、中に入ると赤毛氈が敷きつめられ、下足番がいて、履き古しの靴で来たことが悔やまれた。八畳の部屋に通され、窓からは浮世絵の頃が偲ばれる音無川と川岸の大きな柳が見える風景。
 江戸時代から伝わってきている料理が、さっぱりと淡味で一品ずつ運ばれて…。何度もお皿が変り、最後は塩昆布を乗せたご飯とほうじ茶が出て、お茶漬をするのだった。
 鶯谷に子規庵が保存されていることを知って久しい。近くに住むことになってさっそく出掛ける。
 子規庵辺りは、ケバケバしい建物がぎっしり建っており、これは何とも情けない。その反動で子規庵を見つけた時の感動は大きい。 まさしく正岡ののぼるさんの家。子規居士の住んでいた時と同じと感じてしまうような空気。動いてはゆかなかった時があった。
 瑠璃色の実をつけた檜扇。ホトトギス。萩。石蕗…。みな子規居士の短歌であり俳句であり。「歌よみに与ふる書」「松羅玉液」「墨汁一滴」「病状六尺」「仰臥漫録」…ここで書かれた。あんなに若くして病気であり、どうして日本文学を左右するような新しいことが次々と言えたのだろうか。
 ちょうど糸瓜がぶらりぶらりと生っていて、子規居士の苦しみと心情と…。じかに伝わってきて泣いてしまう。子規居士がここに居られて、その時のままがここに残っていて…。おこがましくも私の心の大きな支えになった。

 
 

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