アルゼンチンつれづれ(272) 2001年07月号

個展

 私の生活のリズムとなって、常に描く裸婦クロッキー、江戸よりの続き、東京あちこちをスケッチする。その時々の花を、果物を、野菜を、旬の魚をも…と増え続ける絵を仕舞い置くことも難儀なこととなる。
 何とか、ひと区切りをし、そしてまた未知の部分を心してゆきたい。
 半年前にグループ展をしたばかりだけれど、『今度は、私の心が反映する個展をしたい』
 こんな気持を聞いてくれる友人がいて、自由ヶ丘、石坂洋次郎の『陽の当る坂道』に建つ大正末から、昭和初期の夏目漱石に由来する和風家屋ギャラリーがみつかった。
 石臼が飛石となっている庭。雨戸を開閉する縁側つきの座敷の母家は茶房として、抹茶やコーヒーがいただけるようになっており、ギャラリーにいらして下さった方々を案内できる。
 庭中に、蹲いを伴なった茶室が今回の私の個展をするギャラリー。
 『ここで短歌を続け、絵を描いているように』と父母から諭された、私の生れ育った父母の家とあまりに似ている、そっくり。
 「ここ以上に今の私の心を込められる所はない!」一ヶ月後に個展が出来ることがきまった。
 場所が決まると、場に合った作品を選ばなければ。額縁を、それぞれの絵に合わせて作るよう注文をしよう。絵の印象は、額に寄るところが大きい、自分の好みと、専門家のアドバイスと、私の絵の新しい要素が引き出されたりするのが興味深い。
 まず基本を、と裸婦デッサン、クロッキーに遷進しているのだけれど、なぜこんなに裸の絵ばかり描き続けているのだろうか、とも思う。特に展示するのには、自画像的裸を人目にさらすということになる。
 私の現在途上の裸婦像を、ギャラリーに掲げ、人を招いても良いものなのだろうか。この惑いは消えてはゆかない。
 アルゼンチンヘ送った私の今回の案内状は「次の展覧会はアルゼンチン、ブェノスアイレスで」と招いて下さる返事となって帰ってきた。
 幾つかの東京の画廊からも、『次の個展を』とさそって下さっている。
 ニューヨークの子供達は、「花を贈るより自分達が行くからね」と。由野は休暇を取り、玉由はいよいよラトラーズ法科大学を卒業するのだけれど、「卒業式はもう一度終っているから、二度目は免状だけでいい」と、卒業式を欠席して、日本へ、東京自由ヶ丘まで、成田から直行して来てくれた。
 私の、ちょっと厭世的な、生きる照れ隠しみたいな、どこにも行き場のない孤独を、皆が本気でみつめてくれて…今までにも増してわがままに絵を描き続けてゆこうという思いに至った。
 居なくなってしまったけれど、父母の失望にならないよう心してゆく。
 物をよく見る。写生をする。私の日々の行動に『正岡子規』が存在し、教え続けて下さっている。時代はほんの少しずれているけれど、彼の範囲に近く居られることは、彼の俳句の中であり、短歌の中である。
 人の感覚は、訓練により鋭くも、まろやかにもなれるもので、よく見える“目”とよく鍛えた“手”を持ち、沢山の人の心を得てやっと一本の線を引くに至る。そしてそこから、一つの言葉を芸術へと導いてゆかれるよう。そんな風になりたい。

 
 

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