アルゼンチンつれづれ(271) 2001年06月号

パタゴニアへ

 ブエノスアイレスの市内にあり、世界一大きなパレルモ公園の中に、アルゼンチン国内線、隣接国行用の空港がある。我家からは車で十五分程。ラプラタ河添い、木々草々が日本と正反対の季節を教えてくれ、日本にはない珍しい木々は、南米であることを思う。
 パタゴニアヘと旅ゆく朝、セリーナさん宅へ迎えにゆく。用意された巨大な荷物と歩行不自由の人、もちろん彼女は荷物など持ちはしない。小さくとも私自身の荷物もある。私一人の力で、地の果てまでも行く大移動をやってのけられるだろうか。
 空港では、セリーナさんをまず『VIPルーム』へ。私は搭乗手続きに。その間を“自分を一人きりにした”とセリーナさんは大変な剣幕で怒っていた。普通の常識では“怒ることではない”と思えることも彼女には、事情がどうあれ、気に入らないことがあることは許せない。セリーナさんが、何でも気に入らない人であることはわかっていて、なるべく気に入らないことを取りのぞこうと心掛けてはいても、そうたやすいことではない。八十何年も崇められてきた人だから。
 セリーナさんが怒ると、私も怒りかえし怒らなければよかった、と思ってもらえるようになってきてはいるけれど。
 国内線の飛行機に乗るのには、タラップを登らなければならない。セリーナさんは階段はだめ、車椅子ごと登るリフトが予約してあり、リフトカーが、普通の乗客とは別の入口に、時間をかけて取り付けられ、ギコギコと上昇する。その間、車椅子を押す役割りの人は、セリーナさんを女王のように気配りしてくれ、かくして全然歩かなくても、どこどこまでも行くことが出来るシステムをしっかり経験させていただいた。
 飛行機は途中、アシカや象アザラシ、ペンギンの群…のバルデス半島にゆく空港に着陸。
 ここへは以前、“ペンギンを見たい”と一言話したら、“すぐ近く”とわけ知らぬまま来た思い出がある。空港からはまた、大パンパスを走り続けてペンギンの居る所へ着いたのだったけれど。
今回はもっと南、カファジャテまで。ブェノスアイレスから三千キロほど。
ほんの何日か前にカファジャテ空港は出来上ったばかり、まだ道が追いつかない。ホテルからの迎えの車は、造りかけの道、牧場の中の私道、大平原、川の中はビシャビシャ。その昔、氷河が運んで置いていったという小石、大石の上も、どんどん容赦なく走り続けた、何時間も。
ニャンドウ(ダーウィン・レア)パタゴニア独特のダチョウが走る、黒白縞のスカンク、アルマジロ、グワナコ(リャマ系)うさぎ…野生動物を目探すのに忙しい。
かつてモンゴロイドがアジアから陸づたいに代を重ね歩いてきた道のりを、私モンゴロイドは今、いとも簡単にパタゴニアにやってきた。
私は、私の代にアルゼンチンに辿り着いたばかりだけど、スペイン貴族のセリーナの少し前の世代、アルゼンチンに渡ってきた。
人種も違い、年齢も、気位高く…違いはいっぱいあるけれど、同じ心を持つことに気付き、心が呼びあって、掛け替えのない人どうしになった。
アンデス山脈のほとんど端っこ、ペリート・モレノ氷河の最先端、太陽は洽く氷を照らし気付くと夕焼、そして闇。セリーナさんと私と二人して、無限の時の続きの中にいつまでも。

 
 

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