アルゼンチンつれづれ(140) 1990年07月号

マラソン短歌

 急にアルゼンチンまで行く用事が出来た。「明日行ってくる」と宣言すると、飛行機の予約、美容院の予約取り消し、デート断わり、絵描きさぼり……とかなり慌ただしく受話器を取った。いつも用意する「気軽な読み物」が手元になかったから、ロサンゼルスから二日間かかってアルゼンチンに着くまで、「マラソン短歌」を思いついた。歌といえるかどうか。とにかくとにかく……。

● 飛行機に乗るたび気弱く思ひをり今が接点私の生死
● 真昼間のフライトなればアメリカの砂漠見てゆくマイアミまでを
● 母と姉との終りてしまいし世の中を続けています飛行機に乗りつつ
● 晴天も雲に隠るる地域もあり本物地球を見下ろしながら
● 出来たてのやわやわ白き雲の中一時間ほどただ白く飛ぶ
● 無事に無事に水平飛行に移りたりドライシェリーに肩ほぐしつつ
● 人の住む気配の無かりし砂の地も道ひとすじは続く続く
● 安全を確かめ我が家を後にしてもう惑わない帰り着くまで
● 地図持てば名前ありなん山中の小さき村の上空にいる
● 乾燥の機内に備え常の日の倍のクリームつけて私
● 穏やかな空を飛びつつ戦いの映画見ているおしきせなれば
● ガムを噛みペプシコーラをがぶ飲めるアメリカの人隣にいたり
● 星々の光り始める少し前空も暗い地球も暗い
● 砂漠色に慣れし我が目に緑色ブラジルの山は濃き濃い緑
● 濃緑のブラジルを見下ろして飛ぶ時は出来たて空気の中にいるごと
● 絵葉書と同じ景色の見えているリオデジャネイロは低空飛行
● ブラジルの朝の太陽我が窓にきたりて小さき虹作りゆく
● イパネマもコパカバーナも見下ろしてその砂サラリ踏みしことあり
● スペイン語ポルトガル語と英語にて飛行アナウンスサンパウロまで
● 砂漠にも緑深き山中も地球に道を作るよ人間
● あちこちに代赭色の垣の見えブラジルの土に深緑萌ゆる
● 原産の国にきたれば背高くてハカランダの木蔭大きい大きい
● ノボタンの背高き梢に花ありてノボタン色のブラジルにいる
● オルガンを作る工場も我が家業ブラジルでの時背筋のばして
● ブラジルのワインたちまち飲み干しぬもう一つの自宅サンパウロにて
● ブラジルを赤く明るく紅くする巨大夕焼に私も赤い
● ひょうきんなトックリ椰子も無造作に道端にありサンパウロの街
● アマゾンの闇を見つめて飛行中見えない物に心通わせ
● アマゾンの深き闇を飛びながらチョコレート食むコーヒーを飲む
● 緊急の着陸といえどアマゾンの木々の見えない闇恨みつつ
● ブラジルのワイン造りの本なども旅に加わるアルゼンチンまで
● 私の足下にワンと感じられ我が飛行機に犬も乗るらし
● どれ程の電気消費の量かしら地球の夜を眺めつつ飛行
● LAマイアミリオサンパウロ緊急着陸プエルトアレグレブエノスアイレス
● ショボショボと目許疲れに比例して目的の地に近づいている
● 疲れゆく目許着ている洋服に皺増え増えて目的地まで
● 窓側を選び坐りて昼も夜もこよなく地球を見めていたり
● 何国の何時何刻か失えり時差むつかし身体と時計に
● 髪直し常の私に戻るべし関わり長きアルゼンチンに着く
● 夥しいブエノスアイレスの灯の中私の家の灯を加う

 
 

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