アルゼンチンつれづれ(15) 1980年新年号
夏休み前
「あと何日学校へ行くと夏休み」と子供たちの指折りが始まっています。夏休みといっても、日本のように学年の真中でやってくるのではなくて、学年末にやってきます。ですから来年三月十日から始まる秋の新学年に進級出来るかどうかのテストがあったり、一年の成果を発表する体育の日、音楽の日、手工芸の日といろいろあって、普段御無沙汰の学校への招待状がしばしばもたらされます。休みになったら一目散に日本へ行こうとしている私たちの生活にあわただしさが増します。 学校の他に習っているバレーも発表会があり、その衣裳のこと。体操もエキシビジョンがある、練習。ですから学校のテストがあるという紙切れを持たされてきても、そのための勉強をする、という暇はありません。常の日に必ずある宿題も、「いやならやっていかなくてもよい」と言い渡してありますが、年間を通じて、やっていかなかったことはないようです。親が学校に興味を示さないと、子供の方がしがみついて勉強をしているような感じです。
私には不自由な、スペイン語の歴史、国語地理等、小学校程度といえども自信を持って教えることは出来ない故の開きなおりとも言えますが、私の方が幼い子供に教わることばかりです。
セイポが咲いた、ティパが咲きそう、ハカランダは今年の雨と涼しさで、とてもかわいそう。あわただしく通り過ぎる時に見上げます。ハカランダの木の下に駐車していたのでしょうか、雨に濡れたハカランダの落花を屋根に乗せて走っている車によく出逢います。 私は、子供だけにかかりきっているほど、穏やかな性格ではないので、子供の日程の中へ最大限に割り込んで、今差し当って売らなければ、教えなければ、ということがないのを幸いに、実力をつけておこうと、人体デッサン、彫刻、墨絵、陶器と、まだ社会的に通用するのには劣る次元ではありますが、頭や手を使うことに満足しつつ、続けていれば、いつの間にか、なにやら出来てくるもので、それぞれのアトリエの一年間の締括りのグループ展に参加して、何が何でも十一月のうちに一九七九年度を終らせてしまおうというお国がらに従っているところです。
一九七九年度の私の平面の作品にも、立体の作品にも、すべて姿を現わすモデルのアマリアは一流のモデルで、私ごとき素人の手の届かないはずの人なのですが、一応美術の辺をさまよいたい者として、どうしても自分の弱点に勝ちたく、強引に頼み込んだのが二年前の出逢いです。それ以来私の眼中には彼女しかなく、彼女を、難しい技法や難しい材料を使わない、紙と鉛筆、もしくは墨でもって、光と影で表現することに夢中です。
アマリアは長年、アルゼンチンでは有名なアーチストのアトリエばかりで仕事をしていますので、目が肥えていて、私の苦手を何度も何度も描かせるようポーズをし、アドバイスをしてくれます。私が上達するのを全身で手伝ってくれるという感じです。
モデル職から離れても、昼食をともにしたり、子供たちと散歩に出かけたり、ゲームをしたりと、子供たちの友だちでもあります。私の世間話の相手であり、一緒に展覧会に出かけ、一流の彫刻家たちとも、彼女を通じて知り合いになりました。彼女は、「よいアーチストのモデルになる。仕事を愛しているから」といつも言っています。既成の芸術家、未完成の学生たちの母なる存在だと思います。また来年も私は彼女と共に歩くつもりです。そして、気持ちよさがにじみ出てくるような作品に行きつくために。
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