アルゼンチンつれづれ(34) 1981年08月号

アルゼンチンでの短歌

 日本の言葉、文化、風物からあまりにも遠く、物理的距離も日本からもうこれ以上遠くはなり得ない、私が日々住むアルゼンチン。アルゼンチンにも二万五千人程はいるといわれている日系の人達の中へ混って時を過せる暇も、心のゆとりもなく、オリエンタル系は我子一人のみというアルゼンチンの学校へ通う子供達を中心として、食事も、来客もアルゼンチンが多くなってゆく。
 斜に読んでも意味はわかる日本語と違って人生途中から割り込んだスペイン語の新聞、雑誌は一字一字正確に拾ってゆくのだから、あまり長い物は嫌になってしまう。面と向い合って話すのではないラジオもテレビも聞こうと努カをしなければならない。だから興味のあること以外は、大体そんなことだろうという次元で毎日が過ぎてゆく。地球上のこの情報時代に、他から影響を受けることなく、一人ポツンと独り善がりの日本語で物を考え、歌を作っている私の生き方。
 頼みにしている日本語も、筍の二節ばかり皮を脱いだ頃の日本を発った、十五年前の時点で終止符を打っている。子供達に日本語に興味を持たせるのには、まず自分が退化、老化している訳にはゆかないと気が付いた時、学校で習った五七五七七のみを頼りに、日本語の本が買い得ない状況に乗じて、短歌入門という本は読まなかったけれど、ゆく風も何処から来るのか、激しい横なぐりの雨、輝く芽生えの木々はもちろん、毎日毎日空を大きくしてゆくような冬枯れへと一目散の街路樹も、私のアルゼンチンでの小さな行動範囲で目に写るもの、肌で感じられるもの、ふとかけぬけてゆく思いが、アルゼンチン生まれの日本の文字となってゆく。
 さりげない文字の中に、歌にしたいと思いたった万感をふくめ、いくら歌にするべきすごいことに出逢っても、仰々しく、しつこいのはいやだ。地球を半周する引越し荷物の中に、『土屋文明歌集』が入っていたのに気が付かないで過した時間があまりにも長かった。今、私のハンドバックの必需品として持ち歩く本。飛行機の中、出先での待ち時間、淋しくなるとすぐに広げる。律儀に始めから順を追ってというのではなく、開いた所を。ある時は一首に釘付けとなり、次々を読み進む日も。歌を読む基本も考証も持ち合わせていない私の理解力ではあるけれど、その都度『あっ』と驚く言葉に出逢います。私が一番たまらないのは土屋先生の茶目っ気に出逢った時。大きく広い日本語を自在に使いこなされて、その上でのゆとり。
 地球の単位で遠く一人ぼっちでいることもまわりにいるアルゼンチンの人々も風景も、みんな忘れて、私も日本語の中に参加していることを思います。受け入れる自身の経験度により、さりげない一つの文字のゆくへにも思いは至ります。
 今現在、誰に見せたい、読ませたいという差し迫った対象もなく、激しく見つめ、激しく歌うという程でもなく、淡々と何の取得もなく過ぎている私の一日一日が、こんな風に暮れていったという日記的なものではあるけれど、物心ついたアルゼンチン生まれの私の二人の子共達が、「アルゼンチン生まれの私の日本文字」を読んでくれる日のことを願いながらの私の歌です。

 
 

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