アルゼンチンつれづれ(73) 1984年11月号

アルゼンチン同窓会

 私の九階の窓から見下ろしている景色、毎日、乗る降りると利用している品川駅。常の日には近寄ることもないホームが幾つもありその中の一つ、東海道線で茅ケ崎まで行こうと試みた朝。
 動き出す電車で探す席も、いつの間にか日向側を選びたい季節となっています。
 葛の勢った葉の間に間に、赤紫っぼい花が見える度にうれしい。そして思いはその根っ子、こんなに葛が栄えていれば、私の好きな葛菓子はいっぱい…… 。
 そんな名前が付けられたこともいとおしいけれど、驚きの心も混じえて見るのは貧乏葛の愛らしい花。
 烏瓜もあやしいばかりの花の頃、青い縞の瓜坊時代、赤く色付くその造形、くるくるの蔓の枯れてゆく姿も間もなく。
 ひと夏勢い、潔く消えてゆく蔓草達が大好き。薄がまだ初々しい。曼珠沙華の赤一途。コスモス。柿の実り色。
 東京から少し離れると、夏から秋への確認が忙しい車窓に、本など読んでいてはもったいない。「いいなあ、たまには外に出なくては!」
 外務省勤めの友人一家が、アルゼンチンからニカラグヮを経て、六年半振りに日本住いになったのを切っ掛けに、滞在した年数、動機はまちまちでも、同じ時期アルゼンチンで巡り会った主婦の立場の三人が、「逢ってみるか」ということになり、三人の中では一番始めに日本住いになった茅ケ崎の友の家へ集合と相成りました。
 「わあ!変らない」「アルゼンチンに住んでた間、年を取るの忘れてたものね」
 「太っちゃった」「肉やワイン、デザートの甘い物、たんまり鱈腹食べ続けてても太らなかったのに、日本に来て粗食になったら太ること太ること」
 「夫婦単位の、出かけたり、招いたりだったから、服装のこと、会話、料理といつも新鮮だった。日本の生活になったら、お手伝いさんの部分だけで生きてなくてはならないんだもの、間抜けた感じといおうか、とにかくつまらない」
 「アルゼンチンの一日は時間がいっぱいあって、いろんなこと出来たね」「朝飯前のゴルフに始まり、夕食後からも“ちょっと飲もう”とすぐ集まってしまって、あのこと、このこと……。会話の中から突然“ハイメ・トーレのチャランゴ聞きに行こう”なんて夜中の町に繰り出しちゃったり」「ショーが終れば、明けてくるブェノスアイレスの町、石畳道……」「安全で、夜中でも女一人で歩けた町だものね」
 「日本の食品が手に入ると皆で一緒に喜んだものだ」「日本の物が無い所で、工夫して作った“日本擬”のおいしかったこと」「それにひきかえ“何処そこの何”じゃなくてはなんて子供まで言っている日本」「あんなに憧れ、ありがたかった食物が、巷にあふれているの見ると、あの頃の自分達がいじらしくなっちやって」「日本に対する“感激”を味わったの幸せだったね」
アルゼンチンで、ニカラグヮで生まれた友人達の子供達が、日本のそれぞれの場所で、日本で通用する日本の子供になろうと懸命に努力している様子。私の子供達のように、日本人でありながら、あえて日本の学校に通学しない教育の可哀想かもしれない身の上のことも交え。笑顔のままトーンが上った会話は続く。共通の大切な思い出を持つ友等。
私の窓の景色から連なってゆく思いが、また一つ重なりつつ日本住い。

 
 

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